2024年 4月 26日 (金)

多民族の巨大イスラム国家はどのように繁栄したのか

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700もの施設を整備した建築家

   アルメニア系キリスト教徒として生まれ、デヴシルメで徴用され、50年にわたり宮廷建築家長を勤めたミマール・スィナンという技師がいる。軍隊の一員として10日間で木製の橋を架ける技量と、中東やヨーロッパを転戦する中で優れた建築を見た見識を認められ建築家に栄進した。モスクはもとより、学校、病院、水道、浴場など700もの施設を整備し、中でもスルタンの名を冠したセリミエ・モスクは聖ソフィア教会をしのぐ出来栄えで、上野の国立西洋美術館を設計したコルビュジェが絶賛している。

   19世紀後半の帝国は、西洋列強の圧力にさらされる中、優秀な若者をヨーロッパに留学させていた。画家ハムディは、優秀な官僚の父のおかげで、パリで法律と絵画を学ぶ機会を得た。ハムディは、絵を描き続けながら、その実務能力と経歴を買われ初代帝国博物館長に就任する。西洋列強からオスマン帝国の芸術が認知されるよう尽力し、オスマン芸術学校の校長も兼任した。

   最終章はアタテュルクを取り上げ、第一次世界大戦の前後でオスマン帝国がどのような道をたどったのかを述べている。イタリアとのリビア戦争、その後のバルカン戦争、そして大戦、立て続けの戦争に帝国は荒廃し、敗戦後の占領下で独立戦争が起きる。イギリス軍の代理を務めたギリシア軍との戦いに勝利して帝国が共和国に転じる。その動機はトルコ民族主義。オスマン・トルコという名前から受ける印象とは異なり、オスマン帝国は、イスラム教を基盤としながらも他民族多宗教の実力主義国家だったのである。

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