黒川紀章さん急逝「もう一つの人生を最後に歩みたかった?」

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   急逝した建築家の黒川紀章氏の葬儀が昨日(10月14日)行われたが、実は過去1年、黒川氏は闘病生活にあったことがわかった。昨年5月に1か月入院したあと、何かが変わったと親しい友人はいう。

われわれの前では元気に振る舞ってくれてたんだ・・・

   3月の都知事選、7月の参院選と、ど派手なパフォーマンスで話題にはなったものの、どこかとんちんかん。世界的に知られた建築家としての名声にも泥を塗りかねない、あれは何だったのか。

   都知事選のあとの4月10日の「スッキリ!!」にも登場して、Q&Aで「選挙には100%勝てると思っていた」「歌には自信がある」などで、マルをだしたあげく、阿部哲子アナと「銀座の恋の物語」を歌ったりもした。

   5月3日には、真っ赤なスポーツカーでぶっ飛ばして、テリー伊藤に「黒川さん、飛ばしすぎ」と悲鳴をあげさせて、豪華な自宅にテリーとカメラを招き入れたり。

   参院選では妻の若尾文子さんも立候補して、自然との共生(共生新党)を訴えた。その選挙戦で若尾さんは、黒川さんの健康を心配していた。

   「ホントに命削っている。そばにいるからわかる。心配なのは、妻として当然でしょ。貧血なんで急に立ち上がると、頭の中の血が軽くなる。だって食べてないもの」

   カメラは、車を降りて弱々しく歩く黒川氏の姿もとらえていた。

   選挙最終日、渋谷で「みなさんのお役に立ちたい」と演説したあとダウンして、最後新宿で若尾さんが演説していたときは、点滴を受けていたのだという。

   若尾さんは「わたしはあんまりいい奥さんじゃなかった、と言ったんですよ。そしたら『そんなこと、そんなこと・・・』と強く否定して『ホントに好きだったんだから』と言ってくれたんですね。2人だけの最後の会話だった」

   葬儀でも「いまはまだ、亡骸がありますけど、それがなくなるというのはね‥‥」

   ジャーナリストの藤本順一氏は、「恥も外聞も捨てて、最後のわがままにそばにいてやるのが妻としての役割かなという感じ」という。

   加藤浩次は「われわれの前では元気に振る舞ってくれてたんだ」

   テリーは「黒川さんはずっと建築家でやってきて、もうひとつの人生を最後に歩みたかったんじゃないか。自然との共生を死ぬ気で考えたんじゃないか。ただ、変なおじさんと思われちゃって、なかなか思いは伝わらなかったけど」

   黒川氏は1月、親しい友人に自作の詩を送っていた。その最後の一節に「光の彼方の行き先へ旅立つ」とあった。別れのメッセージだったのではないかとも読める。

文   ヤンヤン | 似顔絵 池田マコト
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