「アサヒ芸能」がえぐった 裁判員制の「死角」
「予断与えない事件報道」って何だ?
雑誌の命は切り口にある。せっかく、新聞も雑誌もやらない「小沢一郎の金脈を撃つ」(松田賢弥)を連続追及している現代なら、田母神発言の切り口を見せてほしかった。
その切り口で思わず手に取ったのは「アサヒ芸能」だった。来(2009)年5月から始まる裁判員制度に向け、「裁判員」候補者へ通知が送付されたことは、多くのメディアが扱っている。しかしアサ芸は切り口が違う。「徹底検証 ヤクザと裁判員制度!」。サブで「アサ芸でしか読めない『新制度のカラクリ』」とある。
雑誌はこうでなくちゃいけない。確かに「ヤクザだからという理由で裁判員になれないということはない」(元判事で弁護士の井上薫氏)のだ。裁判員法では、警察官や弁護士、義務教育を終了していない者は裁判員になれないが、「ヤクザ構成員」という項目はない。
前科や断指、刺青があればはずされるだろうが、職業を聞かれて、自分から「ヤクザをやってます」と答えるのはそうはいないだろう。選ばれたら、どのような判決を下すのだろうか。
問題はもっとある。裁判員がかかわるのは凶悪事件だが、その対象になるであろう事件は2007年で2643件。そのうち殺人事件は556件あるが、その約23%の130件がヤクザがらみの事件だというのだ。
被告は殺人を犯した組長。傍聴席は組のヤクザで一杯になっている。裁判長席の左右に並び、顔を晒している裁判員たちに「死刑判決」は出せるのか。
私は、今の裁判員制度には批判的である。国民の大多数が不安を抱えているのに、なぜ拙速にやらなければならないのかがわからない。「予断を与えない事件報道」とはどんなものなのか。そこのところも不透明である。
八百長問題も大事だろうが、国民を不安に陥れている裁判員制度という中途半端な「法律」に斬り込むことも雑誌の重要な役割だと思うのだが、いかがでしょうか現代編集長殿。