息子が涙、そのとき安岡力也さんは… 65歳で死去の直前

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   特異なキャラクターで芸能生活をおくった安岡力也さんがきのう(2012年4月8日)亡くなった。65歳だった。 心不全となっているが、過去10年数々の難病と闘った末だった。最後は最愛の息子をぎゅっと抱きしめたという。

   世に出たのは1966年、ロック バンド「シャープ・ホークス」のボーカルとして。印象的な顔立ちとちょっと不良っぽいかっこいい背年だった。80年代からはバラエティーにも進出、「オレたちひょうきん族」で歌った「ホタテのロックンロール」と「ホタテマン」のキャラが人気を博した。

病との闘いの連続

   歌はもちろん映画、ドラマでも独特の存在感をみせた。86年に結婚して長男を設けたが、98年 に離婚。以来、息子の力斗さん(26)と2人暮らしを続けていたが、2002年にC型肝硬変になってからは、病との闘いの連続になる。

役者としても

   05年には多発性肝のう胞症、06年ギラン・バレー症候群、10年 には腎不全と肝細胞がんになり、力斗さんから生体肝移植を受けた。しかしついに退院できず車イスが多くなった。100キロからあった体重も70キロに なっていた。

   この間1人で面倒を見てきた力斗さんは、「スッキリ」に最後を語った。

「言葉は出ないけど、『力斗、愛してるぞ』といっていた。『当たり前だよ、愛してるよお父さん。お父さん世界一だ』って」「ぼくにとって誰よりもヒーローだし誰よりも尊敬できる、目標となる世界一の父でしたね。家族を愛してくれたし、だれよりもぼくを愛してくれた」

   力斗さんは毎日病院に行った。行かないと、夜になって電話がかかったという。当時カメラに「いてくれるだけで安堵感が」といっていた。しかし、そのときもビールを飲んでいた。

   生体肝移植したときの様子を力也さんは週刊誌に語っていた。「力斗、オレ肝臓わるいんだよ。オレに肝臓くれねえか」といったら、「親父、何いってんだよ。オレは安岡力也の息子だよ」と。どれだけ嬉しかったか。いまでも涙が出てくるよ、うれしかったねぇ。大泣きしたさ、と。

「親父がオレの手をもって涙を払った」

   力斗さんも、「肝臓でも心臓でもやるから、長生きしてくれっていう気持ちだった。代わってやりたかった」という。このとき力斗さんは、肝臓の64%を提供した。力也さん はなお、「力斗の息子とサケが飲みてぇんだ。120歳でも生きてぇな」といっていたという。

   最後のとき、力也さんは意識ははっきりしていた。力斗さんが「大丈夫ですよ」というと、目で合図して手を出してきた。「手を握ると、そうじゃないというので、ぎゅうっと抱きしめた。親父はぼくが泣くのが嫌いで、子どもの時から泣くんじゃないといっていた。最後に思わず涙が出たら、親父がオレの手をもって涙を払った」

   加藤浩次「すごい息子さんですね」

   テリー伊藤は「力也さんはね、お父さんがイタリア人でグループサウンズの時も豪快でかっこよかった。もったいないね。もう少し摂生していれば長生きできた。歌もうまかったし、役者としてもああいう人なかなかいない。それこそ勝新太郎さんみたいな」という。

   子どもの頃の力斗さんが、「酒とタバコをやめて」といっている映像があった。その声が 通っていれば‥‥とだれもが思う。

文   ヤンヤン | 似顔絵 池田マコト
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