2024年 5月 2日 (木)

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生還の「日揮」アルジェリア人「政府軍に攻撃され気づいたら生きてるの私だけ」

   1月16日(2013年)にアルジェリア南東部イナメナスの天然ガス生産施設で、イスラム武装集団が外国人132人を人質にとる事件が起き、アルジェリア政府は武装集団の要求に耳を貸さず軍の特殊部隊を出動させて殲滅したが、その際、人質37人が死亡、現地で天然ガスプラント建設に関わっていた「日揮」の邦人社員・関係者10人も犠牲となる痛ましい結末となった。

   文春は「日揮」の社員や関係者たちと同じプラントで働いていて事件に遭い、奇跡的に生還したフィリピン人のショセフ・バルマセダ(42)の生々しい話を聞いている。彼ら人質はテロリストたちとともに一夜を明かし、翌日のことだった。

「軍のヘリコプターが飛んで来て、テロリストを銃撃し始めました。テロリスト集団は、我々を『人間の盾』にすることに決めたようで、ヘリコプターが飛来する度に、その方向を向かせて手を上げさせられました。銃撃戦が続く中、テロリストは人質のうち九人をプラント中央の施設に移動させることにしたようで、私を含めた九人が、手をナイロンの紐で縛られたまま、ランドクルーザーに乗せられました。運転席と助手席にはテロリストのほかに人質が一人、後ろの座席に残り八人の人質が乗せられ、走り出しました。この車には別の日本人も少なくとも一人乗っていたように思います。
   車が動き出すと、どこからか激しい銃撃を受けました。ヘリコプターからかもしれません。車が急停車すると、次の瞬間には大音響と共に車が爆発し、私は数メートル離れた地面に投げ出されました。
   爆発の影響で耳をやられたのか、何も聞こえません。起き上がろうとして振り返ると、ランドクルーザーは原形をとどめておらず、周囲には車のパーツや、バラバラになった死体が散乱していて、生き残ったのは私一人だけでした。テロリストたちもあの爆発で死んだはずです」

   亡くなった中には「日揮」の最高顧問(66)もいたが、死亡が確認されたのは一番最後だった。「女性自身」によれば「身元確認の決め手になったのは、結婚指輪の裏に刻まれたイニシャルと数字だった」というから、遺体の損傷が激しかったのであろう。

   派遣社員として現地に入り、現場監督をしていて被害にあった人(44)の母親は、事件当初は「日揮」から「息子さんは安全です」と説明を受けていたのに、翌日一転したと怒りを表す。その後、「日揮」の人間が突然来て、DNA鑑定のためだと「ひげそりと歯ブラシとベッド周りの髪の毛」を持って行ったという。父親もこう憤る。

「これからは危険地帯には自衛隊が一緒に入らないと行けないという法律をつくると言ってましたね。けど、もっと早く早くつくるべきでした!やることが遅すぎる」

   現地で事業担当の要職にあった被害者(59)は、東日本大震災で津波が襲った宮城県南三陸町の出身で、母親は今も仮設住宅で暮らしている。その母親を気遣い、何度もアルジェリアから電話を入れていた。母親は「本当に悔しい。私のほうが代わってやりたいくらい悔しい」と嘆いているという。

   高成長しているアフリカには多くの日本企業が進出している。だが、彼の地はテロ多発地域でもあるから、企業はこの事件を機に「テロなどから社員の命をどう守るのか」をより真剣に考えなければいけないこと、いうまでもない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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