2024年 5月 1日 (水)

宇多田ヒカル「母・藤圭子は心の病でした。娘であることを誇りに思います」初めて心境

ヒカルのデビュー曲「time will tell」藤が通っていたNYの質屋

   25年間をともに過ごした元夫の宇多田照實氏もホームページでコメントした。「病院で診察を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、アドバイスは逆に僕にたいする不信感を抱かせてしまいました。結果治療を拒絶したまま、彼女の苦しみは重症化したと思われます」

「感情の変化が著しくなり始めたのは、宇多田光が5歳くらいのことです。母親竹山澄子氏にも攻撃的になり、光と僕も攻撃の対象となっていきました」

   2人はニューヨークで生活していたが、ヒカルが生まれた後、藤は日本に戻って地方を歌いながら回っていた。親子3人、ミニクーパーで全国を回っていたのだという。のちに「あの頃は幸せだった」といっていたそうだ。

   93年には、家族3人の「U3」というユニットでアルバムを出し、藤のヒカルへの思いが込められた歌もあった。「そうよ小さなあなたを抱きしめて、いきて来たのよ」(生きることを教えてくれた)

   ヒカルの才を売り込みに歩いたのはその後だ。思いが実って98年、ヒカルは「Automatic/time will tell」でデビューする。「time will tell」とはニューヨークの質屋の名前だった。生活のため藤は質屋へも通ったのだった。

   ヒカルの歌にはこんなものがある。「お母さんに会いたい 分かり合えるのも いきていればこそ いまなら言えるよ ほんとのありがとう」 (嵐の女神)、「ああ夢の中でも、電話越しでも、ああ声を聞きたいよ。言葉交わすのが苦手な君は、いつも置き手紙」(Letters)

   ヒカルのラジオ番組で母の「新宿の女」を流した。昨年夏、動画配信サイトで母が歌う「面影平野」を見て感動した。動画が削除されたあと、「『面影平野』を歌うカーチャン、すごくカッコよくて美しくて、ああくそ、どうにかなれ。ダウンロードしときゃよかった」とツイッターに書いた。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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