2024年 4月 25日 (木)

藤圭子・実兄の恨み「宇多田君(元夫)は生きてるときも死んでからも利用。もう妹を返して」

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<「二十二日の午前中に、ある方から『圭子ちゃんが飛び降りた!』という一報を聞きました。翌日、遺体が安置されている新宿署に駆けつけました。『実の兄です』と言ったら、警察は慇懃な感じで『証明書を見せろ』という。証明書を見せて、『遺体と面会したい』と言っても、のらりくらりと拒否をするのです。
   そして『もし、娘の宇多田ヒカルさんが遺体を引き取れないということがあるなら、私が引き取りますと申し出たら、警察は『それは百%ありえません』と断言するのです。
   おかしいのは遺体の身元引き受け人が宇多田(照實)君だということなんです。圭子は宇多田君とは離婚して籍が抜けているし、他人なのです。
   せめて面会だけでもと思い、警察に電話番号を渡して、『宇多田君に電話をくれるように伝えてくれ』と言いました。しかし、連絡は一切ありません。彼には圭子を私に会わせるつもりがないのでしょう。
   宇多田君はこれまでも圭子と家族を切り離し、会わせないようにしてきました。圭子が死んでもなお、同じことを続けるのかと絶望的な気持ちになりました」>

   こう『週刊文春』で妹・藤圭子の死について語っているのは実兄の藤三郎氏である。8月22日(2013年)に東京・西新宿の高層マンションから飛び降り自殺した歌手・藤圭子の死は大きな衝撃を与え、その余震は納まる気配がない。

   離婚している元夫の宇多田照實氏が葬儀を取り仕切り、ほとんど人を寄せ付けないやり方に、藤の親族からも後援者からも不満が出ているようである。三郎氏は藤と宇多田の結婚生活をこう語る。

<「圭子と宇多田君は、六、七回くらい離婚と再婚を繰り返していますよね。そのうち何回かは、宇多田君が勝手に籍を入れていたこともあった。圭子が宇多田君と上手くいかなくて、おふくろのところに逃げ帰ってきたことがあったんです。その後、圭子は体調を崩して入院した。そこに宇多田君が現れて、連れていこうとしたけど、離婚して身内じゃないんだからと追い返されたんです。
   そうしたら、今度は勝手に籍を入れた上で、『亭主だから』と圭子を病院から連れだしアメリカに帰ってしまったのです。
   二人は何回も離婚をするけど、すぐに宇多田君がお金に困り圭子のところに戻ってくる。それの繰り返しだった」>

前川清との結婚・離婚「セックスなかったのですよ、初夜だけだった」

   藤は1969年、18歳のときに「新宿の女」でデビューし、70年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒットし、作家の五木寛之氏が彼女の歌は演歌ではなく『怨歌』であると評し、人気に拍車がかかった。

   ヒットを次々に飛ばす藤は、安保闘争で挫折した若者たちの熱烈な支持を受け社会現象にまでなったが、デビューのときの貧しい17歳の少女というキャッチは売り出すために作られたと三郎氏は話している。

<「赤貧の中で育った、みたいなことをデビューしてから言われていましたが、あの頃はみんな貧しかったのですからね。両親からは運動会の時にバナナを買ってもらったり、正月に新しい洋服を買ってもらったりしていました。同級生に比べて特に貧しかったということはないと思いますよ。赤貧~、というのは芸能界で売り出すためのストーリーだったのでしょう。
   彼女のキャッチフレーズは『演歌の星を背負った宿命の少女』。少女で18歳というのも何だかなということで、1つ年をごまかして17歳ということにしたんですね」>

   人気絶頂の21歳で歌手の前川清と結婚したが1年で破綻している。79年、28歳のときに突然引退を発表してアメリカへ居を移し、82年に宇多田氏と結婚、83年に長女・光(宇多田ヒカル)を出産するのだ。

   『週刊新潮』は前川との離婚の原因は性の不一致だったと、前川の告白を紹介している。

<「僕らには夫婦生活と呼べる期間があったのですかね。いや、なんというか……とにかく、セックスがなかったのですよ、ぼくらには、ホント。初夜だけだった、といって間違いないところだなあ。一回だけですよ」(『週刊現代』(72年8月31日号)>

   推測するに、ヒカルが生まれた頃からヒカルが歌手デビューするまでの間が、藤の人生の中で一番平穏なときではなかっただろうか。娘が莫大なカネをもたらし、それが3人の仲を引き裂いていった。

「私、事務所の副社長なのにお金1銭ももらってない」弁護士立てたらポンと2億円

   音楽評論家の小西良太郎氏は2000年頃、藤から電話をもらったという。<「会うと彼女は『私、事務所の副社長なのに、方向性を断片しか知らされていない。ヒカルと夫だけで話が進んでいって、仲間外れにされている』と愚痴るんです。しかも、お金を一銭ももらっていないというから、それはおかしいと言って弁護士を紹介しました。そうしたら1ヶ月くらい後に『ありがとうございます。解決しました』とお礼の電話があった。「良かったね、いくら入ったの?」と聞いたら『2億円』って言うから、あまりの額の大きさに絶句してしまいました」>

   宇多田氏と何度も離婚・結婚をくり返し、娘・ヒカルとも距離ができ、ギャンブルにのめり込み、湯水のようにカネを使って世界中を旅行する。その間に精神的にもおかしくなっていったようである。

   『週刊朝日』によれば、06年に藤自らが電話して出演したテレビ朝日のインタビューでこう話している。「私はもう藤圭子でも何でもない。(藤圭子は)お金もうけのために、人からもらった歌を歌って、喜びも悲しみもわかちあって、10年で幕を閉じた」

   また、今春、元夫・宇多田氏がツイッターで「救いのない歌詞を長年歌っていると何だか人生救いが無くなる」と藤がいっていたと呟いたそうだ。

   三郎氏は藤の金遣いの荒さについて、こういう見方をしている。<「圭子はもともと麻雀や競馬もしていましたが、お金には無頓着でした。カジノで五億円を散財するみたいな異常な使い方をしていると聞いたとき、圭子はお金に復讐をしているのではないかと感じました。人間を狂わせ、愛娘のヒカルを遠ざけてしまったもの。そのお金を無駄に使うことで、ヒカルちゃんを母親へと振り向かせたかった。そんな思いがあったのではないでしょうか」>

   実の母親と金銭トラブルで疎遠になったままだという報道があったが、三郎氏はそれは違うという。<「三年前、十数年来会っていなかったおふくろのところに圭子が来たそうです。同居していた男性に付き添われて。三千万円を出して『いままで親不孝してごめんなさい。これからちゃんと親孝行するから』って謝っていたそうです。おふくろは圭子と連絡を取れないことをずっと心配していて『圭子は何してんだろうね、圭子』っていつも口にしていた」>

宇多田ヒカルのブログ「彼女の最後の行為はあまりに悲しく…」母を彼女と呼ぶ哀れ

   娘・ヒカルも結婚・離婚を経験し、3年前に母親同様、突然無期限の音楽活動休止を宣言し、今は8歳年上の福田天人氏とロンドンに暮らしているという。「二人が同棲を始めてからのことです。ある夜、突然、藤さんがいらっしゃったんだそうです」と語るのは福田氏の祖母である。恋人の母親の急な来訪。当然、福田氏は驚いた。そんな困惑をよそに、こう藤は告げたそうだ。

「娘を、よろしくお願いします」

   これだけ言うと、藤は帰っていった。

   藤圭子の家系は目が弱く、母親も盲目で長年付き人と生活を共にしていた。兄の三郎氏も加齢とともに視力が弱くなったといい、藤圭子も同様だった。宇多田ヒカルの「光」という名前は、圭子が娘の目にいつまでも光があるようにとの願いを込めて付けたものだという。

   三郎氏の宇多田氏を恨む口調は弱まることがない。<「彼が苦しむ圭子の傍らに最後までいてくれた人間だったら私は何も言いません。でも離婚して、娘とも会えず、圭子は孤独と絶望の淵に追いやられていた。そして死んでもなお、彼女は孤独のままなのです。
   宇多田君は藤圭子を四十年来応援してきた後援者の前で彼女のことを説明できるのか。天国のおふくろに顔向け出来るのでしょうか。そして、亡くなった圭子の顔をまともに見ることができたのでしょうか。彼には真実を話して欲しい。このままでは圭子は成仏できません」>

   藤圭子が誰にも知られず西新宿で過ごしていた日々 。ある知人は彼女のこんな言葉を聞いて、絶句したという。「日本は自由に見えるけど、厚いガラスの壁に囲まれた国よ。寂しい。毎日が辛い。誰も話す人がいないの」

   命までもと好いた男に捨てられても、京都から博多まで追っていく「バカな女」の怨み節は、他人から押し付けられた「借り着」だったのだろう。それを脱ぎ捨てたくてアメリカまで逃げていったのに、彼女が普通の女に戻ることは叶わなかった。

   娘の歌手としての成功は、彼女の中にかつての『悪夢』を甦らせたのかもしれない。そんな自分と葛藤している間に夫と娘は離れていってしまった。さすらい流れた果てに、彼女は新宿へ戻ってきて自死を選んだ。娘・ヒカルが藤の亡骸と対面したのは彼女の死から6日後である。ヒカルは自分のブログにこう書いた。

「彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」

   『彼女』といういい方が2人の距離を表しているようで、哀れである。

動き鈍すぎる!新聞・週刊誌「秘密保全法案反対キャンペーン」もっとやれ

   このところの週刊誌に不満を抱いている。大事なことに目をつぶり、どうでもいいことばかりにページを割いているからである。たとえば、秘密保全法案がそれである。朝日新聞(8月24日付朝刊)でこう報じている。

<安倍政権は秋の臨時国会に提出する秘密保全法案で、国の機密情報を漏らした公務員らへの罰則を最長で懲役10年とする方針を固めた。対象となる情報は防衛や外交など安全保障に関する4分野で『特定秘密』と指定されたもの。同盟国の米国などと情報共有を進める必要があるため、漏洩(ろうえい)に対して厳罰化を図る>

   告発サイト「ウィキリークス」に米外交公電などを流出させてスパイ罪などに問われたブラッドリー・マニング上等兵(25)に、禁錮35年の判決がいい渡されたが、アメリカ・オバマ大統領が機密漏洩に対して厳罰化で臨んでいるのと同じ流れが安倍政権にもある。

   国家の秘密を漏洩した者は許さないという「脅し」をかけて、自分たちのやっている悪事を国民に知らせないという企みは、国民の知る権利に抵触し、憲法違反にもなるはずである。こんな法律ができたら、メディアに情報を漏らす公務員はいなくなる。新聞はもっと反対キャンペーンをやらなくてはいけないのに、個人情報保護法の時と同じように動きは鈍く、まるで当事者意識がない。週刊誌には残念ながらもっとない。

フクイチ吉田昌郎元所長が警告してた「レベル3や4の事故再び起きる」汚染水流出うつ手なし

   福島第一原発の汚染水たれ流しは由々しき事態であるが、ほとんどの週刊誌が触れようともしないのは、雑誌ジャ-ナリズムの死を予感させる。特集で扱っているのは週刊朝日だけというていたらく。「冷やし中華大研究」(週刊ポスト)に割く5分の1でもこの問題に触れるべきではないか。

   週刊朝日によれば、フクイチ(福島第一原子力発電所)幹部が、吉田昌郎元所長(享年58)が生前こう語っていたと話す。<「吉田氏は病床でも汚染水の問題を気にしていて、『一歩間違えると取り返しのつかない惨事になる』『レベル3や4の事故が再び起きてもおかしくない』と語っていたんです」>

   その言葉通り、東電は8月21日までに汚染水が地下水を通じて海に漏れ出していたことをようやく発表し、漏れ出した放射性ストロンチウムが最大10兆ベクレル、セシウムは最大20兆ベクレルという天文学的な数値を公表したのである。いうまでもなく、東電の杜撰な汚染処理への対応とコストをケチったことが、これほど深刻な事態を招いているのだ。

   これから周囲の土地を凍らせて原子炉建屋への地下水の流入を防ぐ「凍土方式」の遮水壁を建設するというが、その効果は未知数だという。京大原子炉実験所の小出裕章助教がこう語る。

<「原子炉が冷えるまでには、あと何十年もかかる。遮水壁でせき止め続けると、行き場を失った地下水の水位が上昇し、周囲はいずれ汚染水の沼地になってしまう。貯水タンクを置く場所も早晩、足りなくなる。水での冷却を続ける限りトラブルは止まらず、いたちごっこになるでしょう」>

   いまだに有効な手を打てない東電と安倍政権には期待しても仕方ないが、吉田元所長のこんな予言が実際のものになるとしたら、福島周辺はもちろん、日本の周辺海域が放射能汚染水で死の海になってしまうかもしれないのだ。<「一つがダメになると、連鎖的に瓦解する。原発が次々と爆発したように……」>

   私は「福島第一原発の危機は終わっていない」「国民の知る権利を封じる秘密保全法案に反対」という特集が載る日を心待ちにしているのだが、虚しい期待かもしれない。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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