2024年 4月 28日 (日)

「古代日韓関係」共同研究でわかってきた幅広い交流…福岡に新羅の馬具、韓国で日本式前方後円墳

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「水は高き所から低き所に流れる。低き所から高き所には流れない」

   高き所とは朝鮮半島で、低きが倭と呼ばれた日本(当時のヤマト王権)だ。古代日本の文化は朝鮮半島の影響を色濃く受けたが、朝鮮半島は日本文化の影響を受けていないという保守的な韓国の古代史研究家の言葉で、これが韓国では定説になっていた。しかし、日韓両国研究者が協力して古代の日韓の交流史を解き明かそうという新たな動きが強まり、定説も見直される可能性が出てきた。

戦争回避のために贈り物や豪族の仲介

   キャスターの国谷裕子は「日韓関係はいま政治的な緊張状態が続いていますが、古代史研究分野では交流が盛んとなっています。そのきっかけは今年3月(2013年)に福岡県古賀市で6世紀後半頃の古墳から朝鮮半島の新羅産と見られる金銅製馬具が出土し、大きな注目を集めたことでした」と話す。

   韓国でも各地で日本独自のものと思われていた前方後円墳が次々と発見されている。古賀市の古墳から出土した馬具などは200点余りで、新羅の王族などが使っていたものと見られている。

   国谷「当時、日本は聖徳太子が活躍していた時代で、新羅とは緊張関係にありました」

   なぜ敵対していた新羅が日本に豪奢な馬具を贈ったのだろう。古代人口学が専門の九州大学・田中良之教授はこう解説する。「九州豪族は独自に朝鮮半島との交流・通商を行っていました。朝廷は新羅からの侵入に備え2万人の兵を九州南部に集結させていましたが、戦争となったら真っ先に狩り出されるのは自分たちですから、それを何とか避けようと新羅と朝廷の仲介を必死にしたと思われます。新羅は貴重な贈り物で日本との和議を考えていたのではないでしょうか」

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