2024年 4月 26日 (金)

松本サリン事件から20年目の新事実…間に合わなかった分析データ・防御策!警察の報告書配布当日に地下鉄サリン

   松本サリン事件から20年である。得体の知れない事件だった。平成6年6月27日深夜、煙のようなものを見た人がいた。臭いはしない。それで500メートル範囲内の8人が死亡し、140人が負傷した。やがて「サリン」とわかる。

「サリン?」「何だそれは?」「誰が何のために」

   長野県警は第1通報者の河野義行さんを疑った。自らもダメージを受け、妻は意識不明の重体(のち死亡)というのに、自宅から押収した農薬にこだわった。なぜか「サリンは市販薬でも作れる」とされ、メディアも河野さんを犯人扱いした。結果的に県警はオウム真理教にたどりつくことができず、9か月後の地下鉄サリン事件に至る。

長野県環境保全研究所が毒物特定―警察に知識・情報なくオウム見逃し

   実は、サリンについては多くのデータがあった。これが共有されていれば、地下鉄事件の二次被害は避けられたかもしれなかった。死者13人のうちに、サリンを直接処理しようとして犠牲になった地下鉄職員2人がいる。6300人の負傷者の中には、二次被害の警察、消防、医療関係者690人がいる。消防の135人は装備不十分で知識も解毒剤もなかった。

   サリンを特定したのは長野県環境保全研究所だった。現場の池から採った水にメダカを入れたら、1時間で全滅した。背骨が曲がるほどの強い毒性を示した。そこで得た科学データを内外の資料とつき合わせた。一致したのがサリンだ。ナチス・ドイツが開発した猛毒だったが、そんなものが日本にあるのか。発生から2日後のことである。警察の発表はさらに4日後。警察でもサリンを知っている者は皆無だった。

   NHKが入手した長野県警の捜査報告書によると、県警は11人の専門家に聞いていた。サリンを作るには高度の知識と密閉した製造施設が必要だ。それがどうして「市販薬で普通の人でも作れる」と誤って伝わったのか。専門家の1人は「言葉の一部を誤って受け取られた。『普通の人でも』は限定的に話したつもりだが、外側を歩いてしまった」という。

   河野さんはいま「(サリンと聞いて)会社員が作れるものじゃない。疑いは晴れたと思った。分かれ目でした」という。警察は逆にとったのだった。そのため捜査の矛先がオウムからそれ、自信を得たオウムは2度目のテロに走ったのである。

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