2024年 5月 3日 (金)

<NNNドキュメント「命を運ぶ電車~JR脱線事故10年 遺族の執念~>
妻は、娘はなぜ死ななければならなかったのか・・・福知山線事故遺族の喪失感埋める10年

テレビの威力目の当たりにした秀抜ドキュメンタリー

   しかし、裁判で感じたのは「司法の限界」だった。経営陣が加害運転士のスピード超過を予期するには距離がありすぎる。経営陣の作った風土が、現場の規律が・・・と因果をつなげたいのが感情だとしても、法の前では「こじつけ」でしかない。

   ぽっかりと空いた日常には、憤怒や罵倒よりも強い喪失感が漂う。信じられないという思いは、次第に受け入れるしかなくなり、その人の居ない日々がいつか新たな日常になる。ただ、新たな日常の辛さ、苦しさに慣れることはずっとない。いつしか痛みは日常になり、ライフワークになる。淺野さんが作り上げた事故の原因究明報告書や大森さんの見つめる裁判がそうだ。そして、遠ざかることがイコールで事件の風化に繋がるのは輪の外側にいる者だけなのだという事実を改めて思い知らされた番組だった。

   後味の悪さの一因は、加害企業の杜撰な安全教育に対するアンサーが、番組内でも、社会的にも、腹落ちに至っていないからかもしれない。(放送4月27日深夜0時55分~)

ばんぶぅ

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