中ロ国境紛争は「半分こ」原則で解決 唐家セン・元外相が回顧録で明かす

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   中国とロシア・ソ連は長らく国境をめぐって対立、武力衝突も繰り返してきたが、最後に残った大ウスリー島、中国語名は黒瞎子島(こくかつしとう)の分割で両国の国境は画定した。2008年に議定書が交わされたが、これに至る交渉経過の詳細が11年1月に出版された唐家セン(センは王へんに旋)元中国外相の回顧録で明らかにされた。「みなロシアに帰属する」「みな中国に帰属する」と頑強に対立してきた領土問題の主張がなぜ、妥協に至ったのか。

   唐家セン氏は知日派外交官として知られるが、2008年8月までは、中国政府全般の外交統括者という重要な役割を担ってきた。回顧録は「勁雨煦風(けいうくふう)」激しい雨、柔らかい風の意味で、日本語版は11年1月に岩波書店から出版された。

   回顧録には日中関係、在ユーゴスラビア中国大使館爆撃事件など、唐氏が直接関わった外交交渉の様子が語られている。なかでも中ロ国境紛争の解決は、唐氏にとって最後の大仕事だった。

プーチン大統領の登場が「政治決着」促す

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   中ロの国境線は4300キロに及ぶが、最後に残ったのが面積335平方キロの黒瞎子島帰属問題だった。ロシアでは島を「ハバロフスクの郊外」と呼び、工場、教会を建て、実効支配していた。1964年以来、3回の交渉が行われたが、双方、まったく譲らぬ対立が続いていた。交渉が動き出したきっかけはプーチン・ロシア大統領の登場だった。唐氏はプーチン大統領と機を見て会うが、2001年に会ったとき、プーチン大統領が「外部の勢力は絶えず我々に『注意喚起』し、国境問題を持ち出し、ロシアと中国の関係の正常な発展を破壊しようとしている」と話し、この問題解決が両国にとって大きな利益になると強調したことを明かしている。

   この問題を残す限り、内外から中ソは仲が悪いと見られ、大きな損失だと見て両国が歩み寄る「政治決着」に向かう。

   国境画定翌年の2009年6月、唐氏は建てたばかりの国境碑を見るため島に初めて上陸する。島は中国領土の最東端に当たり、新しい国境線が引かれたことで中国の日の出が58秒早まったと、感激の心境を書いている。

   中ロ国境紛争の解決交渉の実態については、専門家の一部を除きほとんど知られていないという。日本語版の監訳者は元朝日新聞中国専門記者で同志社大学大学院教授の加藤千洋氏。日本の北方領土問題などの解決に参考になると話す。

   「両国は第一段階で交渉方式の原則を確認、第二段階で話し合いが困難な箇所を後回しにして合意可能なところから解決に向かう。第三段階では残された困難な箇所についてはフィフティフィフティの政治判断で妥協した。中国はベトナムとの陸上国境問題の解決にもこのフィフティフィフティの原則を適用した。日本では自民党政権末期に、総面積で『半分こ』というやり方が北方領土問題に使えないか考えたふしがある」と解説する。

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