なぜラベル会社が農業に? 老舗企業が“森のキャビア”に賭けた理由
食品や医療、自動車、物流など、私たちの生活を支える現場で欠かせない存在であるシールやラベル。印刷物の一部として目立たないながらも、社会インフラを下支えしてきた分野だ。一方で、ペーパーレス化やデジタル化の進展により、業界は大きな転換期を迎えている。
1953年創業のユーシンSL株式会社は、長年培ってきたラベル製造の技術を基盤にしながら、新たな挑戦として希少果実「フィンガーライム」の栽培事業に乗り出した。「森のキャビア」とも呼ばれるこの果実は、近年高級食材として注目を集めている。
なぜ老舗ラベルメーカーが農業という異分野に挑戦するのか。背景には、「守るだけでは会社は続かない」という危機感があるという。岩越社長に、新規事業に込めた思いと、同社が描くこれからの展望を聞いた。
シール・ラベルに特化した専業印刷会社としての強み
印刷業でも「シール・ラベル」に特化した専業の印刷会社です。
食品に貼るラベルを始め、自動車など工業部品に貼るラベル、荷札や宛名などの物流向けラベル、病院等で血液検査などに使われる医療向けラベル、個人情報保護ラベル、ノベルティなどのファンシーラベル、電車のドアに貼ってある広告向けラベルなど、「シール・ラベル」と呼ばれているものを全般に取り扱っています。
新規事業に踏み出した背景――印刷業界の構造変化とリスク分散
農業事業というよりも、新しい事業へ挑戦しようと考えた理由がいくつかあります。
まず1つ目は、印刷業界の衰退です。紙からデジタルへの移行が進んでいることが大きな要因です。
2つ目はリスク回避です。コロナ禍を経験し、一つの事業だけに依存することが倒産や廃業のリスクにつながりかねないと強く感じました。
3つ目は、ブランドオーナーになりたいという思いです。現状のままでは当社の社名が世の中に表立って出る機会が少ないため、新規事業を通じて社名やブランドを知っていただける人を増やし、社員のモチベーション向上にもつなげたいと考えました。
農業事業は、いくつか候補がある中で選定した1つですが、私の中で譲れない条件として「必ず形があるもの」であること、そして「BtoCで販売できるもの」であることがありました。これらの条件を満たす事業として、農業に挑戦することを決めました。
社員や経営陣から、異業種挑戦に対する反発や懸念
社員からは特に反発はありませんでした。
逆に印刷業における将来の不安から余裕があるうちに、何かしら印刷業に代わる新しいことを始めてもらいたいというのが本音だったと思います。
ただ、父である会長からは、一言目が「それ儲かるんか?」です。
確かに儲かるかと問われれば分かりません。
ある程度、試算的なことはしますが、まずはやってみないとというのが本音でした。
儲かることが初めから分かっていれば、世の中の社長さん誰も苦労しないと思います。

希少果実フィンガーライムに着目した理由
フィンガーライムを知ったきっかけは、SNSで偶然見つけたことでした。
何を栽培するかを決める上で、私にとって大きなポイントの1つは「希少性」でした。当時はまだあまり知られておらず、一方でイチゴやトマトなどは栽培技術や設備がすでに確立されており、新たに参入しても他社との差別化や価格競争力を生み出すことは難しいと感じていました。
もう1つのポイントは、作物の大きさです。
私は小さくて価値の高い、いわば「ダイヤモンドのような作物」を探していました。
作物が小さいほど高齢者でも収穫や運搬がしやすく、それでいてしっかり売上を確保できるからです。フィンガーライムは、これらの条件にぴったりと合致した理想的な作物でした。
水耕栽培という選択――差別化と効率性の両立
フィンガーライムの栽培方法として水耕栽培を選んだ理由は、大きく2つあります。
ひとつは、フィンガーライムの希少性が高いと言われているものの、栽培を始める農家が増えてきており、同じ方法では差別化が図れないと感じたためです。
もう1つは、私自身が農業の初心者だったことです。今思うと、少しでも農業経験があれば、迷わず土耕栽培を選んでいたかもしれません。
水耕栽培には、いくつか明確なメリットがあります。
まず、水やりの頻度を大幅に減らせることです。夏場は毎日のように水やりが必要になる場合がありますが、経験上、週に一度で十分だと感じています。そのため、数日間であれば水やりの心配をせず旅行にも行けます。
次に、肥料を無駄なく使える点です。土耕栽培では、肥料が地中深くに流れたり外に漏れたりすることがありますが、水耕栽培では養液がその場に留まり、必要量を抑えることができます。
結果として費用の削減にもつながります。
3つ目のメリットは、根の状態を直接確認できることです。栽培を進める中で、育成の鍵は根の健康にあると分かりました。根が元気であれば生育も良く、逆に状態が悪くなると枯れにつながってしまいます。
一方で、水耕栽培ならではのデメリットもあります。最も大きい点は、養液(肥料)の細かな管理が必要になることです。当社でも、毎週の潅水に合わせてpH(水素イオン指数・酸性・アルカリ性)とEC(電気伝導度、肥料濃度(塩類濃度))を測定し、水質の調整を行っています。
水耕栽培は、差別化と効率性を両立できる一方で、繊細な管理が求められる挑戦でもあります。
フィンガーライムの特徴と食べ方

フィンガーライムはオーストラリア原産の果実で、名前の通り指のような細長い形をしており、ライムの一種とされています。果実を割ると、小さな粒が弾けるようにあふれ出し、キャビアを連想させる独特の果肉を楽しめます。この見た目から「キャビアライム」や「森のキャビア」とも呼ばれています。
品種も多く、イエロー、レッド、ピンク、グリーンなどさまざまな色があり、それぞれ少しずつ風味が異なる点も魅力です。
食べ方としては、レモンなど酸味のある食材が好きな方は、そのまま食べていただいてもプチプチした食感を楽しみながらおいしく味わえます。
また、レモンやすだちの代わりとして添え物に使われることも多く、肉料理では鶏のからあげ(特におすすめです)やローストビーフ、魚料理では白身魚の刺身や牡蠣との相性が抜群です。さらに、発泡酒やサイダーなどの飲み物、バニラアイスやケーキといったデザートにもよく合い、幅広い楽しみ方ができます。
農業法人化と地域雇用を見据えた次のステージへ
まずは売上と利益を安定的に確保し、事業部を独立させて農業法人化することを目指しています。農業法人化が実現すれば農地を購入でき、栽培面積の拡大につながります。面積が広がれば人手も必要となり、高齢者雇用の創出にもつながると考えています。
そのためにも、まずはフィンガーライムの魅力をより多くの方に知っていただくことが重要です。現在展開している「AquaPomum(アクアポムム)」では、安定した品質と生産量の向上を図りながら、事業の基盤をしっかりと築いていきたいと考えています。
ユーシンSL株式会社
代表取締役社長 岩越 泰憲(いわこし・やすのり)
2000年3月、ユーシンSL株式会社に入社。入社後は約2年間にわたり工場勤務を経験し、印刷機械の運用や生産管理の基礎を現場で学ぶ。2002年に東京支店へ異動し、営業職として既存顧客対応および新規顧客の開拓に従事。
2012年に本社へ異動し、取締役専務に就任。現場経験と営業経験の双方を生かし、経営に携わる。2019年、代表取締役社長に就任。
会社 https://www.ushinsl.jp
販売サイト https://aquapomum.base.shop
フィンガーライム等について Instagram(https://instagram.com/aquapomum)で情報発信中
取材/文 石田あかね