2024年 4月 26日 (金)

京都・清水寺「平成縁起絵巻」きょう25日から公開!テーマは1200年寺を支え続ける人びとの姿

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   年間500万人が訪れる京都・清水寺に、今月(2015年4月)初め「清水寺平成縁起絵巻」が奉納された。1200年を超える清水寺の歴史が全9巻、全長65メートルに描かれ、10年の歳月をかけた労作だ。近代以降では初めての縁起絵巻だが、描かれたのは寺と信仰を支えた庶民の物語だ。きょう25日から本堂・成就院で公開されている。

   「清水の舞台から・・・」で有名な舞台の下の「音羽の滝」が清水の起源だ。毎朝6時、多くの地元の人たちが訪れる。流れ落ちる水をくんで飲み水や料理に使うのだ。「30年間毎日」という人もいた。清水寺は庶民の寺である。

   開祖・延鎭が東山で「音羽の滝」を見つけて寺を開いたのが奈良時代の778年だ。本尊の「十一面千手千眼観音」は宗派、身分の別なく誰でも救うと、庶民の祈りの場となった。平安時代には浄土につながるという舞台が造られ、さらに拡張されて現代に至っている。

火災・老朽化のたびに庶民の寄進で再建

   寺の歴史は波乱に富む。戦乱などで10回以上も火災に遭っているが、そのつど再建したのは庶民の寄進だった。室町時代に描かれた縁起絵巻もあったが、明治の神仏分離令による廃仏毀釈の荒波で、寺の財政難を救うために手放してしまったのだ(いまは東京国立博物館所蔵)。新たな縁起絵巻はいわば悲願だった。

   新たな縁起の物語を書いたのは、6年前に亡くなった横山正幸さんだ。高校の社会科教師を退職後に学芸員として寺の歴史研究に没頭した。絵は日本画家の箱崎睦昌さんに決まっていたが、問題はどんな物語にするかだった。室町時代の絵巻も参考にしたが、まったく違う視点の「人々に支えられた寺」ということになった。

   延鎭も音羽の滝も本尊の観音もある。度重なる火災も、「応仁の乱」もある。しかし、権威や戦乱や災厄よりも、それを救った庶民を見つめた。応仁の乱で寺は灰燼に帰したが、再建させたのはそのときも全国からの寄進だった。

   それに続く「ぼん鐘」の搬入は人びとをあげての大イベントだった。老若、金持ちも貧乏人もない。庶民信仰の寺の面目躍如である。この鐘は7年前まで500年以上も使われ、いまも大切に保存されている。「清水寺警備団」は地元民のボラ ンティアだ。「2度と火災は起こさない」という歴史の教訓を背負っている。

   近代史の大事件は廃仏毀釈だ。修理もできずに傾いた舞台が描かれた。救ったのはまた庶民だ。丸太を運び込む人々がいる。先代の「大西良慶和上」は、恩返しにと全国を行脚して、107歳で亡くなるまで講話を続けた。

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