2024年 4月 27日 (土)

「被爆体験」聞こうとしない日本人!語る場は減り、小中学校からは「政治的発言困る」

   70年前の8月6日、1発の原子爆弾で広島は焦土と化した。

「2度と自分たちと同じ目に誰も遭わせたくない」「自分たちが語らなければ次の世代に伝わらない」

   被爆しながらかろうじて助かった被爆体験者は、凄惨な光景を忘れたくとも忘れられず、病気や偏見に苦しめられて70年の歳月が過ぎた。被爆体験者の平均年齢が今年初めて80歳を超え、体験を語る人も次第に減ってきている。そんななか、被爆者たちの証言が求められなくなったり、あるいは証言の内容が制限される事態が起きているという。

長崎の中学校校長でさえ「失礼だけどやめてください」

   広島で被爆した江種祐司さん(87)はこの20年間、学校などで被爆体験を語ってきた。学校側も写真や映像で子どもたちの理解を深めようと取り組み、子どもたちからも「原爆の恐ろしさを知りました」という声が数多く寄せられた。

   しかし、語る機会は激減している。1996年は95回あった依頼が、2014年には48回と半減し、今年度はまだ15件だ。江種さんは「非常に残念な状況です。伝えたい思いはあるんですけど、持っていくところがない」と語る。

   東京・八王子市の被爆者団体は市内108の小中学校すべてに被爆者の体験を話させてほしいと要望してきたが、7年前から応じる学校は10校前後にとどまっている。なぜ話を聞かなくなったのか。八王子小学校も教諭と校長が相談し、6年前を最後に被爆者を招いていない。

   6年生担当の黒岩明生教諭(32)は子どもたちに戦争について考える機会を与えたいと考え、昨年夏(2014年)に初めて原爆資料館を訪れた。被爆直後の凄惨な光景に衝撃を受け、さらに地元で被爆者たちが語る内容の生々しさに驚く。「目玉が飛び出し、丸く開いた口には内臓がそこまで飛び出し・・・」。これでは「子どもたちの心に傷を負ってしまい、恐怖がかってしまうと平和教育としてはうまくいかないのではないか」と心配し、被爆体験者を招くことはしなかったという。

   被爆者が体験談を語っているときに、内容にストップをかける事態まで出てきた。長崎県島原市の中学校。昨年7月に79歳の被爆者を招き、1時間の予定で長崎での被爆体験を全校生徒に話してもらった。

   被爆者の男性は、焼け野原に多くの遺体が放置された様子などを語ったあと、原発に触れ「原爆投下は70年前の出来事ですが、生徒の皆さんにも関係があると思います。広島・長崎を経験したのにどうして日本は原子力発電をやっているのかと聞かれます。私は被爆者だから個人的には原発に反対です」と話した。

   その直後、本田道隆校長が「失礼だけどやめて下さい」と話を中断させた。校長は「政治的発言だなと感じ、良くないと判断した」という。校長はこうも話す。「被爆者の思いをストレートに伝える語り方は今の学校では受け入れ難くなっている。政治的微妙なところ、賛否両論あるところは公教育においては配慮しなければならない」

   しかし、政治的発言と受け取るのは、受け入れ側の偏狭な判断ともとれる。男性は純粋な被爆体験からくる放射線の恐怖を語りたかったのだろう。実際、被爆者の男性は話を中断されたことについて、「僕は偏った話だとは思わない。そういうことまで語るなといわれれば、原爆は語れなくなる。教育の場に自由な雰囲気がなくなっていると思う」と残念がった。

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