2020年 9月 19日 (土)

木村拓也コーチが残した 人生を考える「宝のような言葉」

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   木村拓也・巨人内野守備走塁コーチの死去後、ネットではコーチを追悼する書き込みが広がっている。「はてなブックマーク」では巨人軍の公式ホームページに掲載されている、木村コーチが日本野球機構(NPB)の新人研修で語った内容がブックマークされ、その数は900近くになっている。最悪の状態からいかに這い上がってきたのか。そこには、人生を考える「宝のような言葉」が詰まっている、というのだ。

   木村コーチは2010年4月2日の試合前のシートノック中にくも膜下出血で突然倒れた。意識不明の重体が続き、7日午前3時22分に広島市内の病院で帰らぬ人となった。37歳だった。2009年に現役を引退し、今季から巨人軍の1軍コーチに就任。指導者としてこれからの活躍が期待されていた。

「どうすれば代えられないようにできるか」と考える

   木村コーチの新人研修が話題になったきっかけは、埼玉西武ライオンズの大物ルーキー菊池雄星投手がマスコミに、木村コーチの講演を聞いて感銘を受け「内容がすごく心に残っている」と語ったこと。これをスポーツ紙が取り上げ、広がっていったらしい。

   巨人軍公式ホームページには「NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容」として10年3月4日付けで掲載された。

   高校時代に通算35本のホームランを打っていたにも関わらず、ドラフト指名されずにショックを受けたこと。日本ハムにドラフト外で入団したものの、プロのスピードについて行けず、入団二ヶ月で新聞に「任意引退選手」と出てしまった。そんな最悪の事態から、いかに這い上がってきたかが綴られている。

   高校では捕手で4番バッター。それがプロになって、投手以外全てのポジションをこなすユーティリティープレイヤー、しかもスイッチヒッターという驚くべき活躍をした。

   一軍に外野手のけが人が出て「試合に使ってもらえるならと外野手を」。広島にトレード後、成績が残せず、クビを逃れるため、引退間近なベテランが守っていたセカンドに目を付け、練習した。打撃はもともと右で、右投手が出てくるとベンチに入れられた。どうすれば代えられないようにできるか。「自分が生きていくためには必要だ」と、スイッチヒッターに取り組んだ。

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