水泳・山中毅さん死去78歳 五輪で銀メダル4個

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   1956年のメルボルン、60年のローマ、64年の東京五輪に出場し、競泳代表で計4つの銀メダルを獲得した自由形の元世界記録保持者、山中毅(やまなか・つよし)さんが2017年2月10日に亡くなったことが14日、分かった。78歳だった。

   石川県輪島市出身。輪島高3年でメルボルン五輪に出場し、オーストラリアのマレー・ローズと激闘を演じ、400メートル、1500メートル自由形で銀メダルを獲得した。

  • Wikimedia Commonsより
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ローマ五輪で「死闘」のラジオ中継

   早稲田大に進み、ローマ五輪で雪辱を期したが、400メートル自由形、800メートルリレーでまたしても銀メダルに終わった。ローズ、さらにオーストラリアのコンラッズとの手に汗握る激闘レースはラジオ中継され、日本中を沸かせた。東京五輪では400メートル自由形で6位だった。

   早大卒業後、米国に留学。61年には200メートル自由形の世界記録を更新した。引退後はスイミングスクールやスポーツ企画会社の経営に携わった。83年に国際水泳殿堂入り。糖尿病に苦しんだ経験から、中高年を中心にした水中運動教室も開催していた。 

   戦後の日本水泳界は、フジヤマのトビウオと呼ばれたスーパースター古橋広之進さんが世界記録を樹立するなど大活躍した。しかし、全盛期の48年のロンドン五輪には、日本とドイツは招待されず、古橋さんは52年のヘルシンキ五輪に出場したが、調子を落としており8位に終わった。

   そうした日本水泳界の無念の思いと期待を一身に背負ったのが56年のメルボルン、60年のローマの山中さんだった。ちょうど戦後の荒廃から立ち上がり、高度成長への道を歩み始めた日本の歩みと重なり、多くの日本人が僅差で決まった死闘のラジオ中継に一喜一憂した。

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