2024年 4月 25日 (木)

ネットで新聞はこう読まれる(後編)
『芸人式新聞の読み方』プチ鹿島さんインタビュー 
「オジサンの暴論」が本質を突いている

ネット発の「いい話」を受け入れる前に

――本書の「オッサンの熱い暴論を復権させよう」「グレーなものは、グレーなままで良い」というスタンスは、ネットで新聞記事に触れる際、大事な気がします。

鹿島 グレーゾーンって、絶対にあると思っています。100%悪人も、100%善人もいませんし、「真実」も本当にあるのか分かりません。結局、「真実らしきもの」を多角的な視点から探っていくしかないんですよね。1つの席から見える景色で「これが真実」と言い張るのは危なくて、それはただの盲信です。

――「真実」を追い求める行為と表裏一体なのが、「美談」に対するネットの反応です。マスコミの「美談」は批判される一方、ネット発の「いい話」は案外受け入れられています。

鹿島 ヘイトスピーチと美談は、どちらも「言いっぱなしでいい」という点で同じです。とくに美談のウソには被害者がいないので、なかなか止められません。
佐村河内守さんの騒動のとき、「NHKが騙された」というネットの批判に僕は乗っかれませんでした。佐村河内さんについては、NHKが取り上げる前からなんとなく知っていただけで、あえて俯瞰しませんでした。耳も聞こえない、目も見えないのに、作曲才能はある。ツッコミどころがなさすぎて、目をそらしてしまったんです。
そんなとき、昔だったら、街のオジサンが「佐村河内ってどんなやつだ? あれ、聴こえてんじゃねぇか?」と指摘しました。で、それが意外と本質を突いている。それこそ、(ビート)たけしさんみたいな。
でも今は、「あれ、聴こえてんじゃねぇか?」と指摘するのもダメな雰囲気でしょう。

――「美談」を持ち上げる人を疑うと反発されがちです。

鹿島 佐村河内さんをずっとウォッチして、「本当に聴こえているのか?」と指摘する。そういう熱のこもった「うかつさ」はあっていいと思うんです。みんなが牽制しあって、何も言えない状況に風穴を開けるのは熱いオジサンしかいません。悪い例というか、それをうまく利用したのがドナルド・トランプなんですが。
オジサンはたとえば、魚屋さん、八百屋さん、とそれぞれの職場で何十年と人を見続け、自分なりの「信用できる・できない」の判断基準を持っています。
その究極が床屋政談です。町内会のオジサンが集まり、繰り広げる人物品評会。政策ではなく、「あの政治家は胡散臭い」「言っていることを信用できない」ということをなんとなく語り合います。そんな表面的な人物品評会は、意識の高い人にバカにされがちですが、案外本質を突いているものです。
同じ政策を掲げた政治家をジャッジする場合、最終的な判断基準は「人柄」です。それはネットの情報を追うだけでは編み出せない。だから、毎日朝から晩まで働いて、色々な人間を見てきたオジサンなりの「生活の知恵」を見習うべき部分があるんです。 僕らはどうしても頭でっかちになりがちです。もちろん、オジサンに全乗りするのはダメですが、「愛のあるうかつな言葉」が役に立つときもあります。
世の中って、ぼんやりしていて、うかつです。「このことについて言ったり、触れたりするのはやめておこう」となれば、言論は発達しません。
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