浅田真央、最後に涙 20年のスケート人生を語る

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   浅田真央(26)がフィギュアスケートの現役引退発表記者会見を開き、スケートにかけてきた約20年間を振り返った。世界中から賞賛されたソチ五輪のフリーが最も印象に残っているとし、代名詞だったトリプルアクセルについても語った。

   「悔いはない」「今は晴れやかな気持ち」と前向きな言葉を繰り返し、いつも通りの笑顔とゆったりした語り口で会見を進めた浅田だったが、最後の最後に言葉を詰まらせた。

  • 笑顔で引退会見に臨んだ浅田真央
    笑顔で引退会見に臨んだ浅田真央
  • 時々水を飲んでいた
    時々水を飲んでいた
  • 最後は立ち上がってあいさつ
    最後は立ち上がってあいさつ

「キス&クライで自分の点数と順位を見て...」

   長らくフィギュアスケート界の先頭に立ってきた浅田は、2017年4月10日にブログで突然引退を発表。改めて自分の言葉で引退を語るため、12日に東京都内で会見を開いた。

   引退を考える大きなきっかけになったのは、2016年12月の全日本選手権だった。常にノーミス、完璧な演技を追求してきた浅田だが、国内大会ながら12位に終わった。浅田は「フリーを終えて、キス&クライで自分の点数と順位を見て、『あ...もう、いいのかもしれない』と思いました」と大きくうなずき、「終わったんだな」と噛みしめるように述べた。17年2月に引退を決断したとも語った。

   浅田は14年のソチ五輪を終えて14-15シーズンを休養した後、15-16シーズンで1年ぶりに競技に復帰。「(18年の)平昌五輪に出るという目標をずっと持ってやってきました。やり遂げなきゃと思っていました。同時に葛藤はずっとありました。平昌五輪に出る目標をやめてしまう自分を許せるのかな、許せないのかな、と」という浅田は、自身が理想とする最高の演技ができずに悩む日々が続いた。それでも、最後の16年全日本選手権ではトリプルアクセルをプログラムに組み込んだ。「自分らしく終えられたかなと思います」と振り返った。

   トリプルアクセルは、「自分にとって強さでもありますが、悩まされるものでもあります。なんでそんなに成功させてくれないの?って」と笑った。「伊藤みどりさんみたいにきれいなジャンプを跳びたくて、初めてトリプルアクセルができた時は本当にうれしかったです」というこのジャンプは、いつしか浅田の代名詞になっていた。

ソチのフリー後「あ~終わった、あ~よかった」

   19歳で臨んだ10年バンクーバー五輪は、ショート・フリー計3回のトリプルアクセルを成功させたが銀メダル。あと一歩で優勝を逃した。次こそと4年後のソチ五輪は、ショートでミスが相次ぎ、まさかの16位と出遅れた。

「日本に帰れないって思って、つらい思いもしました。フリー当日の朝も気持ちが切り替わっていなくて、このままで大丈夫なのかなと思いながら公式練習しました。試合が近づくにつれて、メーク、ウォームアップもして、そうしてリンクに出た瞬間に、やるしかないと、そこで初めて吹っ切れました。フリーを終えた瞬間、最後のポーズは上を向いていたんですけど、涙が出てきて『あ~終わった、あ~よかった』って思いました」

   全6種類のトリプルジャンプを計8回組み込んだ前人未到のプログラム。一番印象に残っている演技を問われた浅田は「ソチのフリーです」と迷わず答えた。総合6位に終わったが、直後の世界選手権では圧巻の演技で優勝を収めた。

   最高の演技をしたこの時にきれいに引退していれば...という声は少なくない。しかし浅田は否定した。

「ソチとその年の世界選手権で終わっていたら、今もまだできたんじゃないかと思い続けたんじゃないかと思います。チャレンジしてやり切った結果の引退決断でした。家族や友達に相談はしましたし、悩みもしましたが、最後は自分の決断です。やり残したことはありません。それだけやり尽くしました。悔いはまったくありません」

   決めたことはやり切るというポリシーは、「母譲りですかね。頑固なところは」と、幼いころから厳しくもスケート生活を支え続けてくれた匡子さん(故人)にも触れた。

立ち上がって会場を去る直前のあいさつ、言葉詰まる

   同じ時代に活躍してきた選手にも触れた。浅田を高く評価し続け、17年3月に引退を表明したロシアのエフゲニー・プルシェンコには「私より長く選手生活を送ってきて、たくさんの記録、たくさんの人を魅了してきました。お疲れ様ですと言いたいです」。同い年で長くライバルとして国際大会で競い合ってきた韓国のキム・ヨナについては、「私たちが15~16歳のころから、ジュニアでもシニアでもお互いに刺激を与え合ってスケート界を盛り上げてこられたんじゃないかなと思います」と笑顔で話した。

   「フィギュアに恩返ししたい」という浅田は、夏に予定されているアイスショーに参加するが、それ以外は「これから考えます」とした。行きたいところに「台湾」を挙げると、友達で卓球女子日本代表の福原愛の名前を出し、「愛ちゃんに案内してもらいます。良い人がいたら、愛ちゃんみたいに結婚する、かな」と笑った。

   18年平昌五輪の女子日本代表枠はこれまでの3枠から2枠に減ったが「大勢の選手たちが争うので本当にハイレベルになると思います。刺激を与え合いながらやっていってほしいです」と前向きだった。「真央ちゃん真央ちゃん」と日本中から愛されてきた浅田は、次の世代に思いをはせる大人に成長していた。

   最後の最後、立ち上がって会場を去る直前のあいさつ、浅田は変わらぬマイペースで「晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」としたが、言葉を詰まらせ、目を赤くし、後ろを振り向いた。心を落ち着かせた後「スケート人生で経験したことを忘れず、新たな目標を見つけて進んでいきたいと思っています」と振り絞った。もう一度後ろを振り向いて照れ隠し。「みなさん応援ありがとうございました」と言って会場を去った。

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