2018年 11月 14日 (水)

10日前に「絶筆」コラム 日野原さん、「遺言メッセージ」

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   聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、数多くのエッセイでも知られたが、105歳で大往生する10日前の2017年7月8日付け朝日新聞(be土曜版)に、事実上の「絶筆」コラムを書き残していた。

   カナダ生まれの医師、ウィリアム・オスラー(1849~1919)に触れた一文で、彼を「師」と仰ぎ、「その背を追って」きたと自身の人生を振り返り、医療におけるヒューマニズムの大切さを訴えていた。

  • 日野原さんが執筆した2017年7月8日付け朝日新聞(be土曜版)のコラム
    日野原さんが執筆した2017年7月8日付け朝日新聞(be土曜版)のコラム

「全人医療」を訴える

   オスラー博士はカナダ、米国、英国の医学の発展に多大な貢献をして、医学教育にも熱意を傾け、今日の医学教育の基礎を築いた医学者として知られる。

   日野原さんが朝日新聞で長年連載していた「私の証 あるがまゝ行く」というコラムによると、戦後、聖路加病院は接収され、米軍の陸軍病院となった。その結果、海外情報に触れる機会が増え、米軍医を通して念願のオスラーの講演集を入手。「衝撃と感動をもって読み」、「臨床医に必要なもの、私が生涯をかけて追うべき医師の姿はこれだと確信」。48年には『アメリカ医学の開拓者、オスラー博士の生涯』を翻訳出版した。

   その後も海外でオスラーを敬愛する「オスレリアン」と交流し、83年には日本オスラー協会を発足させるなどその思想の普及に尽くした。「私が生涯をかけた活動の一つであり、充実した道程だったと満足しています」と振り返り、「医学にヒューマニズムを取り戻し、患者を全人的にとらえようとしたオスラーの理念は『全人医療』という言葉とともに、これからも確実に日本社会に根を張っていくことでしょう」と結んでいた。

『十歳のきみへ』でも紹介

   オスラーは当初、聖職者をめざし、のちに医学者になった。日野原さんは牧師の息子であり、自身も敬虔なクリスチャンだった。そういた意味でも、二人には重なり合う部分があったようだ。

   日野原さんは著書『十歳のきみへ』などでもオスラーを紹介しているが、結果的に最終回になったコラムで改めて取り上げたことで、読者や後輩の医療関係者に、自身の長年の思いを「遺言メッセージ」として伝える格好となった。

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