2024年 4月 19日 (金)

『日報隠蔽』の著者に聞く(下) 南スーダンPKO、自衛隊はなぜ危険な現地に踏みとどまったのか

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   自衛隊がPKOで派遣された南スーダンでは、大統領派と副大統領派が反目し、民族対立も絡んで大規模な戦闘が起きていた。自衛隊はなぜ危険な現地に踏みとどまったのか。

   このほど出版された『日報隠蔽』(集英社)の著者で在野ジャーナリストの布施祐仁さんと、朝日新聞の元アフリカ特派員として現地で10数回の取材を重ねた三浦英之さんにJ-CASTニュース編集部がインタビューして改めて聞いた。

  • 布施祐仁さん(右)と三浦英之さん(左)
    布施祐仁さん(右)と三浦英之さん(左)
  • 布施祐仁さん(右)と三浦英之さん(左)

基地が難民で埋まった

――南スーダンでは、自衛隊のPKO宿営地の近くで大きな戦闘が2回あったそうですね。

三浦 13年12月の1回目の戦闘の直後、自衛隊は銃撃戦に巻き込まれる可能性があると判断して、全隊員が銃弾を装填し、「自己防衛のためなら撃て」という、「射撃許可」まで出していた。非常に危険な状況だったのですが、それだけじゃないんです。実は大変なことが起きていた。PKOの基地はフェンスがあって通常は外部から入ることができない。ところが文民保護ということで、UNMISS(国際連合南スーダン派遣団)のトップの判断で、基地を避難民に解放したんです。つまり、装甲車などがいっぱい停まってるPKO基地を解放して、避難民を招き入れた。これはたぶん初めてのことなんじゃないかと思います。国連PKOの歴史の中で。
布施 今のPKOは、文民保護が最優先任務ですからね。
三浦 基地の中にですよ。どうなったかというと、基地の中が避難民であふれかえり、まるで避難民キャンプみたいになってしまった。避難民がそこら辺でおしっこやうんちをするし、そのすぐ近くで洗濯したり、鶏を殺して食べたりしている。もうグッチャグチャ。さすがに自衛隊は自分たちがいる一部のエリアだけはガチガチに守ってるんですけど。
 何が言いたいかって言うと、結局、「守れなかった」んですよ。南スーダンでは至る所に武器が氾濫しており、避難民も当然、武器を隠し持っている可能性を否定できない。いわゆるテロリストが周囲にいっぱいいるみたいなもので、いきなり人混みから撃ち込まれたりした場合には、いくら自衛隊だって防御ができないんですよ。その前までは基地の中にいれば、まあ完全に防御はできたんですけれど。基地の中に避難民が入ってきちゃって、誰が敵なのか味方なのか、それすらもわからない。
 そういう状況になったら、基本的には政治は撤収の判断を下さなければいけない。子どもなんて、自衛隊員がいると寄ってきて、ベルト回りの装備なんかを手でべたべた触ってきたりするんですよ(笑)。にもかかわらず、これは派遣はかなり難しいということが、結局、伝わらなかった。

防衛省にはアウェイ感

――2度目の戦闘、2016年7月ですが、三浦さんはその後、現場に行きましたね。

三浦 政府は「戦闘はなかった」というスタンスでしたが、実際に現場を訪れると、自衛隊の基地のすぐ隣の建物で銃撃戦が起きていた。もちろん自衛隊は、激しい撃ち合いが起きているのを、間近で見ているはずです。あるいはRPG(携帯対戦車擲弾発射器)の撃ち合いなんか見ているのかもしれない。PKO部隊と南スーダン政府軍との間で交戦があった可能性も指摘されています。
 今回の南スーダンPKOは、すごく検証する必要があると思います。布施さんがおっしゃったように、いま文民保護というものがPKOの柱になっている。武器を持って闘うことを前提としたPKO。じゃあ日本の自衛隊はそれに加わることができるのか。事実を隠し、政治家たちは聞こえのいい「復興」といった言葉を頻繁に使う。復興に加わるんですって言われると、災害国・日本は、よし、じゃあがんばろうかっていう風になりがち。でも実際には単なる復興ではないですからね。戦闘を戦闘によって止めるみたいな部分を多分に含んだ「復興」。それゆえに、現場は事実を事実としてしっかりと報告し、それを受けて国会や政府や議論や判断を行わなければならない。

――それほど危険な状況があったのに、撤収しなかった理由はなぜでしょう。防衛省は自衛隊員を準戦闘態勢に慣れさせるというか、わざと模擬の実戦訓練をさせているのでしょうか。

三浦 そんな感じじゃなかったですよね。自衛隊の人って言うか、防衛省って、PKOではアウェイ感があるんですよ。そこは基本的には外務省のフィールドなんだと僕は感じましたね。例えば日本の国防や災害なら、防衛省が先頭に立って「防衛省に任せろ」って言うことはできるんだと思うのですが、PKOって何か国益っていうものを意識している部分がかなり大きくて、外務省の人たちの発言力が大きいように感じるんです。防衛省っていうのは、どちらかというと、実働部隊みたいなイメージがあって。表現はよくないかもしれないけど、仕事を請け負っているみたいな。

――やらされているっていう感じですか。

三浦 実態とすると、外務省が国際的に、プレゼンスを示したいっていうのはあるんだと思うんです。それと官邸の意向。改憲に向けてですね、自衛隊を外で使えるようにしたい。その中で、防衛省は、官邸や外務省に比べてどこかアウェイ感があるなと感じていました。現地に行っている人たちは皆一生懸命やっているんですけど、どこか言いくるめられてしまっている。

隊員たちはたまらない

――イラクのPKOでは帰国して自殺者もたくさん出ています。

三浦 やっぱり負担が想像以上に大きい。いつ撃たれるかわからないっていう現場で、バンバンバンバン撃たれた時に、自分たちはどうすればいいのか。そのストレスは半端じゃない。自衛隊は、隊員が帰国してきた時に、どうやってメンタル面のケアをしているのかが気になりますね。同じようにPKOに加わったドイツでは、僕が取材に行った時は、隊員のメンタルケアがすごく問題になっていました。
 PKOは自分たちの国を守るわけではない。根源的な使命感を持ちにくい一方で、割と危険が大きかったりする。でも彼らは命を張って仕事に従事する。そうするとどこかで無理が生じて、帰ってきた人は、結構メンタルで参ってしまうんですよね。何のために自分たちは行ったんだろうっていうことも含めて。
 現地で頑張った自衛隊員にしてみたら、帰ってくると日報問題でしょ、これ、たまらないと思いますよ。稲田大臣が、戦闘じゃありませんでした、っていうのを聞いてどう感じるだろうかと。自分のトップが、日報はありましたが、隠蔽じゃないです、って言う。
 実際、気温40何度のところで道路を造ったりとか、色々やっていた人たちがいるんですよ。その人たちっていうのが正しく評価されないで、結局、日報を隠蔽してしまったというふうに、ひとくくりにされてしまうっていうのは、僕はすごく悲惨だなと思います。あれだけやったのに。僕は現場で見ているから、なおさらです。
 だから、今回の南スーダンPKOって、もっともっと研究者とかですね、私たちのようなジャーナリストも含めて、しっかりとその功罪を検証していかないといけない。ここで終わりの話じゃなくって、次につながっていく話でもあるので。もっともっと突っ込んでやらないといけないですよね。そのためには「正しい文書」が絶対に必要なんです。

政権にとって「不都合な真実」が隠される

――PKOにはカンボジア以来25年に及ぶ歴史があります。トータルすると1万人近くが行っている。

布施 原点には「湾岸のトラウマ」があります。日本は金だけ出す小切手外交だ、やっぱり日本が国際社会の中で貢献していくためには自衛隊を出さなくちゃいけないんじゃないか、という出発点ですね。大きな流れで言うと、防衛省、外務省、政府一体になって、少しずつ出していこう、徐々に抵抗感を下げていって拡大していくという流れはあったのかなと思うんです。
 ただ、やっぱりカンボジアPKOのときでも、実は初めから日本国内の憲法9条との整合性をとるために作られたロジックっていうのは、かなり現場と乖離してた。乖離した時に、現場の事実をもとに議論するんじゃなくて、乖離してるから現場の事実の方を隠してしまいましょう、ということが最初から行われていたんですよね。そのボタンの掛け違いがどんどん膨らんで、広がっていって、ついに限界まで来たのがこの南スーダンだったのかなと僕は思っています。
 2013年の12月に、現場からは危険な状況の報告があがっているのですが、なぜそこで継続したかってことですよね。13年12月というのは、安倍政権が初めて国家安全保障戦略を制定した直後なんです。そこで打ち出したのが「積極的平和主義」なんですよ。つまりこれから、世界に向けて、軍事的にも日本は貢献していくんだというメッセージを出した直後に、唯一海外で自衛隊が活動していたのが南スーダンだったんです。実は、戦闘が勃発した直後、中央即応集団の司令官は現地の派遣部隊に、いつでも撤収できるよう準備を指示しました。でも、おそらく政府は、国家安全保障戦略で積極的平和主義を打ち出した直後だったので、ここで引き揚げたらまずいと判断して、戦闘をなかったことにして活動継続を決めたのだと思います。
三浦 たぶんその通りだと思う。
布施 そういう意味では、16年の7月、なぜ派遣を継続したかと言うと、これもやっぱり安倍政権が非常に重視して2015年9月に成立させた安保関連法に基づく新任務の付与という実績作りを優先させたわけですよね。
 そのためには、現地で戦闘が起こっている事実はどうしても伏せられなければならなかった。そういう背景が、この「日報隠蔽」にはあったんじゃないかと思います。
 いったん新任務を付与したが、治安が悪化して、実際に何か起こってしまって、仮に自衛隊員に戦死者が出れば、それこそ政権が吹っ飛びかねないというリスクをいち早くなくすために、撤収させたのではないか。
 とにかく、政権のある種のご都合主義と言うか、まず結論があって、それに合わない事実であったり現実は、なかったことにされてしまう。森友問題も厚労省の裁量労働制のデータの問題もそうですけど、安倍政権に共通した性格ではないかと思います。

これからたぶん第2イニング

――カンボジアPKOについては、NHKスペシャルの制作メンバーだった大阪放送局ディレクターの旗手啓介さんが18年1月に『告白――あるPKO隊員の死・23年目の真実』(講談社刊)を出版しました。

三浦 『告白』はこの数年間の中でも、突出して力のあるノンフィクションだと思います。NHKの取材班に対し、関係者が当時隠された様々な「秘密」を詳細に語っている。それでも事件から話してくれるまでに20年以上もかかっているんです。歴史が立ち上がってくるには、やはり時間が必要なのだと痛感しました。
 南スーダンPKOはまだ発生したばかりで、あそこで何があったのか、僕らは全力でやりましたけど、当事者の話、インサイドの話が将来必ず出てくると思う。当時何があったのか。たぶんすごい恐怖ですよ。戦車や戦闘ヘリが動いて、戦闘員がすぐそこでバンバンバンバン撃ち合っている。そういうギリギリの状況に立ったのって、戦後の日本で当時の南スーダンの自衛隊員たちだけでしょう。
布施 そうでしょうね。日本が最も戦場に近づいた時だった。
三浦 僕はルポで、とりあえずは何が起こったかっていうのを突き止めようとしましたけど、NHKの旗手啓介さんが『告白』を書けたのは事件から23年後だったように、南スーダンで実際に何があったのかが明らかになるのは、やっぱり時間が必要なのかもしれないと思っています。

――NHKの番組では、当時のPKOの隊長が腹をくくって、資料を全部提供していますね。

三浦 現場にいた人は、5年、10年、15年後に、当時何が起きたのか、ぜひ話してほしいと思いますね。それが絶対に日本のためになるから。今回、360人いますからね。勇気を持って、当時何があったのか、特に上官の方にお話ししていただきたいなというふうに思います。

政府軍が自衛隊の基地を襲撃するかも、という情報

布施 この本を校了した後に手に入った文書があります。戦闘があった時の活動全体をまとめ、総括した文書です。その中に、16年7月の戦闘の時に、UNMISS(国際連合南スーダン派遣団)の司令部から自衛隊に対して、南スーダン政府軍が自衛隊の基地を襲撃するかもしれない、という警戒情報が寄せられたとあるんです。
 自衛隊の宿営地の周りに、政府と対立するマシャール派の難民が集まっており、それを狙って政府軍が襲撃してくるかもしれないという情報が寄せられた、と。
 そういうことが、当時ちゃんと、戦闘がいったん収束して、新任務を付与するかどうかの議論が国会で始まるときに出ていたら、大変な問題になっているはずです。だって政府軍と自衛隊が戦闘になることは絶対ありません、と言って、それを条件に自衛隊を出しているわけですから。
 でも現実は、そういう重要な情報が入っていながら、全部伏せられてしまい、後からこうでしたってわかるというのは、非常におかしい。これは隊員の方たちの命が関わっている、そういう事案であり、政策決定なので、大きな問題だと思います。森友問題ももちろん大きいですよ、でもPKOは本当に隊員の方の命が関わっている政策決定です。そこで本来開示されるべき情報が違法に隠されて、政権が実績作りのために行ったとするならば、これはもう本当に稲田さんの辞任で済む話では本来ないと思います。
三浦 そのとおりですね。イギリスの場合は、イラク戦争に対しても外部の検証委員会のようなものを作ってしっかりと検証を行った。ああいうのを見ると、民主主義がきちんと機能してるなあって思いますね。あれは決して当時の政権の粗探しをしているわけではなくて、その検証を受けて、次の未来の選択に生かしていきましょうと。正直うらやましいですね。まさしく日本が国際貢献をするんだという時に、全部情報は隠蔽されて、当時の資料は残っていません、ということになっちゃうと、何を元に判断すればいいのか、僕らはまったくわからない。貴重な経験が全然生きない。
 検証というのは、過去から学ぶことで民主主義を強くし、結果的に国を強くすることなのだと思うんだけど、結局、日本は検証も反省もしないので、いつまでたっても強くなれない。旧陸軍、旧海軍が敗戦の時に全部書類を燃やしちゃった。戦争の反省と検証を戦後にしてこなかったっていうのが、僕らの世代にツケとして回ってきていて、本当に困ってしまっているんです。

個人が行動して組織を追い詰めた

布施 『日報隠蔽』の「あとがき」で三浦さんが書いていますけど、組織っていうんじゃなくて個人の連帯、それが1つのキーワードだと僕は思っているんです。
 日報問題が去年、どうして大臣の辞任まで行ったかというと、本当にいろんな人、NHKとか、フジテレビとか、自衛隊の中の人だったり、それは背広組だったり、制服組、いろんなところにいる個人がですね、別にお互い連携をとっていたわけじゃないんですけども、それぞれの信念だったり思いに基づいて行動した結果なんですね。お互い、顔も名前も知らない個人ですよ。こうして本を書いていく中で、今回の日報隠蔽の1つの裏テーマというか(笑)、それがこの「個人の連帯」なんじゃないかなというふうに思いました。

――ツイッターでもお書きになっていました。

布施 そうですね。自衛隊をPKOに出すべきか、出すべきじゃないかとか。それは僕みたいな立場と、自衛隊の中にいる人とでは全然違うわけですけども。でも、少なくとも、やっぱり事実を隠蔽したり、臭い物に蓋をしたり、何か間違ったことを隠す。そういう不正っていうのは、決して自衛隊の中にいる人たちにとっても、自衛隊にとってもプラスにならないと思った人たちがいるんですよね。そういう人が、いろんな組織の中に、いろんなポジションでいて、その人たちがそれぞれの役割を果たした結果、ということですね。
三浦 組織って、確かに組織防衛や自分の保身ばかりを考える人もいるにはいるんですけど、中にはリスクを犯しても「これはやんなきゃいけない」って思ってくれる人が、どの組織にもたぶんいるんです。
布施 稲田大臣による真相究明、最後は非常にうやむやに終わっちゃったので、忸怩(じくじ)たる思いもありますけれども、少なくとも、最初は全部伏せられようとしたわけですから、そこを切り開いていって、最後大臣を辞任に追い込んだ。僕は最初のきっかけを作っただけなので、そこからいろんな人たちがやっぱりつないでいったというか。そこはやっぱり非常に今回、僕の中でも印象的でしたよね。
三浦 僕は、ジャーナリストになりたくてなった人間だし、ジャーナリズムの可能性というものを今も信じているんです。ただ、新聞社にいると、部数が急激に落ちてきていて、組織ジャーナリズムの力が徐々に弱くなってきているというのは、最近事あるごとに感じています。昔であれば、リクルート事件にしても、そのほかの調査報道にしても、1つの新聞社が組織としてそれを戦い抜くことができた。組織の元気の良かったときは、組織単体で戦うことができたんです。

――確かにそういう面もありますね。

三浦 でも、これからジャーナリズム全体を考えていった時に、新聞やテレビの力が相対的に弱くなっていく中で、1組織と権力という戦い方は、なかなかやりにくくなってくるのではないかと考えることがあるんです。今回、朝日新聞は森友問題で気を吐きましたが、それまではメディア全体がなんかこう、政権に押さえつけられている感じが世の中にはうっすらと漂っていた。
 それゆえに、今後、当面は組織が調査報道を担って行くにしても、仮に1組織が権力と対峙できなくなったときには、いわゆる有志というか、志のある個人が組織を越えて、つながり合って、戦っていく。イメージにすると、スーパーコンピューターみたいなデカい固まりではなく、個人のノート型パソコンをつなぎ合わせて、スーパーコンピューター的ないわゆるスペックを維持して、大きな敵に喰いすがっていく。それらがうまくリンクしたとき、大きな力になるんじゃないかと思います。

J-CASTニュースBOOKウォッチ編集部


●布施 祐仁(ふせ ゆうじん)
1976年、東京都生まれ。ジャーナリスト。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を受賞。このほか著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)、『経済的徴兵制』(集英社新書)、『災害派遣と「軍隊」の狭間で―戦う自衛隊の人づくり』(かもがわ出版)、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(伊勢崎賢治氏との共著/集英社クリエイティブ)など。現在、「平和新聞」編集長。

●三浦 英之(みうら ひでゆき)
1974年、神奈川県生まれ。京都大学大学院卒業後、朝日新聞社に入社。東京社会部、南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在は福島総局員。2015年、『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社)で第13回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『水が消えた大河で─JR東日本・信濃川大量不正取水事件』(現代書館)、『南三陸日記』(朝日新聞出版)など。



   【日本のPKO問題】
■南スーダンPKO日報問題
陸上自衛隊は2012年1月から17年5月まで、復興支援で南スーダンPKOに施設部隊を派遣。日報の開示請求にたいし、「廃棄した」として不開示にしていたが、のちに陸自での保管が報じられ、7月、当時の稲田朋美防衛相が引責辞任した。

■イラクPKO日報問題
陸上自衛隊は2004年1月から06年9月まで、イラクの復興支援で延べ約5600人を派遣。「ない」とされていた日報が存在していたことを、18年4月に認めた。

■カンボジアPKO問題
1992年から陸上自衛隊の施設部隊を派遣。文民警察官として警察官75名も派遣されたが、93年、襲撃事件で岡山県警の高田晴行警部補が亡くなった。

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