2019年 9月 18日 (水)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(9)
大久保利通が描いた「国家像」

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   幕末から維新にかけて、日本が選択する道の一つにアメリカのような連邦制国家がありえた。これは現実の明治維新をさらに発展させるか、あるいは新政府が中央集権国家ではなく、各地方の県(廃藩置県時)を20から30に絞り、それぞれの地方政権に一定の権力を与えて中央政府の役割を限定的に限る案である。いうまでもなく徳川時代の武家政権のような形に似ていると言ってもいいかも知れない。そのような可能性はあったのか、となれば、あったともいえるし、ありえないといえばそうなのかも知れない。

   明治維新の7年ほど前になるのだが、アメリカでは南北戦争が起こった。経済的自立を目指しての、あるいは黒人差別の撤廃をめぐる戦争ともいえた。この戦争でアメリカでは60万人の死傷者が出たというのである。さらに1871年にパリではコミューンの内乱が起こり、万を越す死傷が出たというのである。このような時代にあっての明治維新は、極めておとなしい変革でもあった。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 明治維新では大久保利通が例外的に国家ビジョンを持つ政治家だった
    明治維新では大久保利通が例外的に国家ビジョンを持つ政治家だった

明治維新は欧米と比べれば「極めておとなしい変革」

   伊藤博文はこのことが自慢で、外国に出かけた折、さらには外国要人にこの犠牲者の少ない体制変革についてしばしば説明を繰り返したというのだ。この事実により日本社会が対立抗争を続けてこなかった特異性を説明できる。換言すれば、幕府の統制能力が優れていたためともいえるし、日本人の間に体制変革を求める声自体がそれほど大きかったわけではないとの言い方もできた。実際に日本では社会変革につながる極度の対立要因はなかった。宗教対立や思想上の混乱もなかった。血で血を争う因はなかったと言っても良かった。

   このような社会の同質性が幸いしたとの見方は当たっているように思う。

   つまり日本社会は江戸時代の270年間にある種の思想や理念を身につけたと言ってもいいのではないか。具体的にいえば、権力それ自体に庶民が関わることは避けるといった知恵があったということかも知れない。ごく平凡な日常を過ごし、自らの属する共同体に身を置いていれば一生を完結できるとの約束は、社会変革にまでエネルギーが高まらないということでもあろう。幕末から維新にかけて、庶民は京都や江戸での体制変革にどれほどの関心を持ったかは明らかでない。時代を受け身で捉えていたように思えるのだ。

   こういう国民性なためか、明治維新そのものも独裁者が登場して進めたわけではない。むしろいかに状況をまとめるかが要求された。その意味ではまとめ役が日本社会のリーダーになるケースが多かった。あえて例外的といえば、大久保利通が調整役より国家ビジョンを持つ政治家といえた。この大久保の政治的経綸は維新時に大政奉還からのめまぐるしい政局の変化の中で、しばしば生かされることになり、新政府の指導者の立場で改革の手順を担うのは、まさに大久保のみとなる状態だった。

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