2020年 3月 31日 (火)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(19)
昭和天皇が苦心した「終戦案」

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「陸軍内部は共産主義者の巣窟」の上奏に困惑

   ただ吉田が、文面作りに参加していたことは『昭和天皇実録』でも公式に認めている。次のようにである。「午前十時二十分より1時間にわたり、御文庫において元内閣総理大臣公爵近衛文麿に謁を賜う。近衛は自ら起草し、元駐英大使吉田と協議の上完成した上奏文に基ずき奏上する」。吉田の意思を近衛が伝えたという形がとられたのである。

   上奏文の中には、「職業軍人ノ大部分ハ中以下ノ家庭出身者ニシテ其ノ多クハ共産的主張ヲ受入レ易キ境遇ニアリ」という一節さえもあった。この上奏文は天皇に対して、極めて不遜ではあるが、天皇との間で独自のコミュニケーション回路を持つ者だけの特権的な内容と言えるとも解釈できる。

   天皇は「陸軍内部に共産主義者がいる」との上奏に戸惑ったのか、参謀総長の梅津美治郎が上奏に来た時に、この質問を発している。梅津はためらいもなく、否定したのだが、しかし天皇がこのような疑問を持っていることに驚いたのであろう。それとなく軍内の動きを調べた節がある。

   昭和20年2月の重臣たちからの助言を求める動きは、天皇を満足させる結果とはならなかった。天皇は真の忠臣とは誰かを今いちど問い直さなければならなくなったのである。戦争末期になれば、天皇の心理は日々変化し、負け戦にしてもどのように収めるか、考え続けていた。天皇の主権国家であり、大元帥として陸海軍を動かしているはずなのに、現実には天皇の力を持ってしても戦争は止まらない状態になっていたと言ってもよかった。

   こうした状況を見ていくと、可視と不可視の両局面での昭和史の分析が必要になっていることがわかる。天皇が現実に「昭和20年8月15日」に戦争を止めたではないか、だからいつでも止められたはずだというのは可視の歴史解釈であり、天皇でさえ命を張らずひとたび始まった戦争は止められないという昭和史の本質は、不可視の領域に入らなければ解明できないのが、現実の姿であった。そこにメスを入れていくことにしたい。(第20回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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