2024年 4月 25日 (木)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(23)
戦争末期に露呈した「先達への非礼」

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勝機がないのに特攻作戦や玉砕戦を行った理由

   なぜあれほどまでに沖縄本土決戦を行なったか、あるいは戦争末期にも関わらず、勝機などありようはずもないのに特攻作戦や玉砕戦を行ったかは、全て軍事指導者の責任逃れだったといってもよかった。この点が曖昧にされていることは太平洋戦争の総括が充分に行われているとは言えないことにつながっている。沖縄を本土決戦の第1号と称するならば、それに続く第2号、第3号を大本営の作戦部は考えていくわけだが、その根底にある発想が前述の二点なのである。

   (1)の心理は、「聖戦完遂」「一億総特攻」といった語が用いられた。戦争を勝つまで続行する心理は、軍人やどの国の軍事組織も基本的にはそう考える。特に日本の軍事指導者はさしたる根拠もなく、「戦えば負けない皇軍」なる神話を作り上げ、それを国民に強要した。軍事指導者は負けるとするいう事態は、国民が軍事に協力しないからだとの責任逃れを巧妙に用意し始めたのである。

   さらに日本の場合、軍人は戦争に勝つことにより、国に貢献してきたと自負するのが近代日本の慣行である。日清戦争では、国の予算の2倍以上の賠償金を得て、明治30年代の国家繁栄の基礎を作ったとの自負を持った。日露戦争でも勝つことで賠償金を獲得し、国を富ませると国民に約束し、増税での戦費調達を図った。しかしその約束は果たされずに日比谷焼き討ち事件などの暴動が起こっている。軍事指導者は戦争に勝って、賠償金を取り、自らは華族に列するのを最大の目標にしていたのである。国民はそのための駒のような存在でもあった。

   さらに(2)について言えば、軍事指導者は国家を繁栄させる役割を天皇(大元帥、そして神格化した存在)から仮託されているとの神話を作り上げていった。それ故に自分たちは一般の国民とは異なる立場にいると一方的に解釈し、歪んだエリート意識を作り上げて行ったのである。この傲岸さが太平洋戦争の戦略や戦術の全てに現れていた。兵士一人一人を人間扱いしていない戦略にそれがよくうかがえた。

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