2019年 11月 20日 (水)

「先生、これはいけませんよ...」橋下徹も涙した堺屋太一さん死去 その足跡を振り返る

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   「先生、これはいけませんよ、本当に。先生には2025年大阪万博のテープカットに立ってもらわなきゃ困るんですよ」。告別式で、涙ながらに弔辞を述べ始めたのは、前大阪市長の橋下徹氏。

   第1次ベビーブーム世代を「団塊の世代」と命名し、作家や万博プロデューサーとしても活躍した元経済企画庁長官の堺屋太一(さかいや・たいち、本名=池口小太郎=いけぐち・こたろう)さんが2019年2月8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。告別式は2月17日午後1時から東京都港区南青山の青山葬儀所で開かれ、政財界や文化人ら約1000人が出席。堺屋さんの冥福を祈った。

  • 太陽の塔も堺屋太一さんの功績
    太陽の塔も堺屋太一さんの功績

「太陽の塔」は堺屋さんなしには存在せず

   戦後日本で、これほど多方面で活躍した人も珍しい。大阪市出身。東京大学経済学部卒業後、1960年に旧通商産業省(現経済産業省)入省。早くから頭角を現し、1970年の大阪万博の企画を担当した。岡本太郎さんを展示プロデューサーに起用したのも堺屋さんの尽力。「太陽の塔」は堺屋さんなしでは存在しなかったといえる。入場者数は半年間で6400万人を超え、豊かさへまい進する戦後日本を象徴する一大イベントとなった。

   万博との縁は、これで終わりではない。1975年の「沖縄海洋博」に携わったほか、2010年の上海万博では日本産業館代表兼総合プロデューサーを務めた。2025年に開催される大阪・関西万博も心待ちにしていたという。「先生が成功を収められた1970年の大阪万博を超えようと、みんな一生懸命張り切っています」。橋下氏は弔辞で堺屋さんの功績をたたえた。

   ベストセラー作家の顔も持つ。通産省在職中の1975年に発表した「油断!」は、石油危機に陥った日本をシミュレーションし、「近未来小説」というジャンルを確立。1976年の「団塊の世代」は、1947~1949年生まれの人口が膨れあがった世代を主人公にした近未来小説で、現代につながる少子高齢化問題をいち早く指摘した。1978年に退官後、執筆活動を本格化。「峠の群像」や「秀吉」などの歴史小説は、NHK大河ドラマの原作にもなった。

政治家、経済人、文化人が参列した告別式

   1998年には小渕恵三内閣で、民間人ながら経済企画庁長官に就任。2000年には肌感覚の景気をつかもうと、タクシーの運転手、小売店の店長らの景況感を調べる「景気ウオッチャー調査」を始め、現在も続いている。

   橋下氏が率いていた「大阪維新の会」のブレーンとしても活躍、第2次安倍政権では内閣官房参与を務めた。

   告別式には菅義偉官房長官やキッコーマンの茂木友三郎名誉会長、建築家の安藤忠雄氏らが参列。作家の石原慎太郎氏も姿を見せた。

   「2025年まで、少し体をお休めになられて、またスイッチを入れて、その時には、大阪万博、一緒にぐるぐる走り回りましょう。本当に、ありがとうございました」。橋下氏が「師」に捧げた、心のこもったスピーチだった。

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