2024年 5月 5日 (日)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(34)
近代日本にとって戦争は「事業」だった

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賠償金を元手に英米に留学

   しかしともかく、多大な賠償金によって明治30年代の日本は、まず軍備の充実に走った。結果的に日露戦争時の軍備は先進帝国主義のレベルに達したとはいえないものの、軍事大国の方向により傾斜していった。加えて明治30年代に日本の軍人、学生、研究者などが相次いでアメリカ、イギリスなどに留学したり、研究生活を送ることができたのは、清国からの賠償金に助けられたが故のことだった。日本の軍人たちは戦争に勝って、賠償金を取ること、それがお国への方向と考えたのもこうした背景を確認すれば容易に頷けた。

   しかも1884(明治17)年に華族令が制定されたことで爵位を与えられることにもなり、軍事指導者はいずれもこうした恩恵に浴している。昭和の軍人たちが密かに爵位をもらうべき天皇側近に働きかけていたことは公然たる事実であった。軍人が賠償金をとって国に奉公しようと考えていたのは日露戦争時にも明らかになる。

   アメリカの仲介で、ポーツマスで講和交渉が行われた。このとき、日本側は我々の方が軍事的に勝っているのだから、賠償金を要求するとロシアに詰め寄った。ロシア側はそんな要求には応じられない、ではまだ戦争を継続するかと言わんばかりの態度であった。日本側は慌てて引っ込めている。日本政府と軍部は、国民に対して戦費調達のために相次いで増税を続けてきた。それは戦争で勝つことで一気に取りもどして減税に踏み切るがごときの説得を続けていた。しかしそれは実現不可能であった。

   怒った国民が日比谷での集会の後、暴動まがいの焼き討ち事件を起こしたのは、賠償金が取れないことへの不満の爆発だったのである。(第35回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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