2024年 4月 20日 (土)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(35)
軍人が「事変の早期終結」反対した理由

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   戦争を国家の「営業品目」に入れるのは、いわば帝国主義国家の当たり前の姿であるが、日本の場合、その主役が軍事指導者であった。彼らは、持たざる国のわが国が、軍事による権益の確保という結果を得るために、しばしば巧妙な論を振り回した。昭和6(1931)年の満州事変のときは、生存圏の拡大という論を振り回す論者もいた。どの国にも生存を保証するために、軍事力で支配圏を拡大する権利があるというのであった。

   むろんこれは民族自決に向かっている時代にふさわしくないのだが、持たざる国の論理として用いられた。まさにナチスの哲学でもあった。

  • 首相の桂太郎は日露戦争での賠償金にこだわり続けた
    首相の桂太郎は日露戦争での賠償金にこだわり続けた
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 首相の桂太郎は日露戦争での賠償金にこだわり続けた
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

賠償金の「うまみ」忘れられない軍人たち

   日露戦争の時に、外務大臣の小村寿太郎はロシアとの講和交渉で賠償金が取れるとは思っていなかった。戦争の現実が、勝利という状態ではなかったからだ。講和交渉の席に日本は勝者として座っているが、ロシアはそうは思っていないことを知っていたからである。首相の桂太郎は、逆に賠償金にこだわり続けた。軍人出身者は、そのうまみを忘れることはできなかったのである。この構図(戦争に勝って賠償金を獲得する)は、軍人にとっての営業品目というのは、具体的に戦争に勝つことが政治の軋轢を克服するという理解よりも単純化しているだけに、分かりやすかった。

   昭和12(1937)年7月からの日中戦争は、その意味では日清戦争時の過大な賠償金獲得のイメージを思い出させても不思議ではなかった。11月からのトラウトマン工作はそれにならって、帝国主義国家として賠償金と領土の獲得を目指したわけであった。当初の案は中国の反日行動の停止や日本製品の関税引き下げなどであったのが、日本軍が首都の南京を陥落させてからは、既述のように満州国の承認、対日賠償などが加付された。

   トラウトマンはこれを蒋介石政府に示した。ちなみにこの日は昭和13(1938)年l月2日であった。蒋介石は自らの日記に、「日本側の提出した条件は、我が国を征服し滅亡させるに等しい」と書いた(黄仁宇著、北村稔ほか訳『蒋介石』)。この頃、蒋介石はスターリンに援助を求めていたが、拒絶されている。ドイツも日本と防共協定を結んだために、蒋介石政府から離れていった。そういう状況にもかかわらず、蒋介石と側近たちは現状を世界戦略の中で捉えていた。これが前述した、この期の人類史をどう捉えるかである。

   もう少し、この賠償金について触れておくが、日中戦争は長期化すると見て近衛文麿内閣は戦費の捻出のために国民への協力を求めている。各メディアもそれに協力させられている。この点を確認しておく必要がある。

   日中戦争時に大蔵大臣を務めた賀屋興宣は、自ら称したように戦時経済の日本の第一人者であった。彼は昭和12、13(1937~38)年ごろに戦費調達のために銀行家や財界人、さらには一般国民に向けて、貯金を、贅沢せずに、と説いている。それによるならば、戦時経済とは「多額の資金が、政府の支払として撒布されるのであります」と言い、昭和13年、14(1938~39)は平時の予算に比して、50億円から60億円は増えると説明する。これだけの巨額の資金の調達が必要とすれば、どのような方法があるかを模索するのが財政専門家の腕の見せ所だと説く。

機密費で「端的にいって酒も女も自由」

   公債の発行を50億円とし、それを企業や個人が支えるというのが目標だというのであった。昭和14(1938)年度の国民の貯蓄は80億円だからとも言っている。戦争には膨大な資金の投入が必要だというのであった。ところが賀屋は、戦後になって著した自伝(『戦前・戦後八十年』)の中で、「支那事変」が拡大したのは、人心の機微があったと言い、7項目を上げている。事変が拡大して戦闘が激しくなり、戦線が広がれば陸海軍の部隊は増加する。そのことを、賀屋は「どんなことでも自分の関係の勢力範囲が増加するということは人間は本能的に喜ぶ」と言い、そして7項で次のように指摘するのだ。

「高級、枢要の職にあるものについては、機密費も相当に豊富に使える。端的にいって酒も女も自由である。それがいいことか悪いことかは別とするにしても、大抵の人はこれを嫌がるまい」

   こういう恩典に浴した軍人が、「事変の早期終結に反対の作用をするということ」は結果論として間違いがないのではないかと断定している。軍事費の増大は、このような心理のせいであるというわけだ。加えて軍事指導部の軍人たちは後方の安全地帯にいるわけだから、決して死なない。賀屋はそのような矛盾を前提にこうした結論を引き出したことがわかってくる。これで戦争に勝ったら、そのような戦費も賠償金で取ろうというのだから、そこには多くの不合理が含まれているといっていいであろう。まさに戦争は、事業なのである。(第36回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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