2024年 4月 25日 (木)

当事者が語る「遺族取材」のリアル 娘を失った父は、どんな思いでカメラの前に立ったか

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   京都アニメーションのスタジオで発生した放火殺人事件など、痛ましい事件へのマスコミ取材をめぐって近年、「遺族取材」をめぐる議論が注目を集めている。

   こうした中、1996年9月、都内で発生した未解決殺人事件で、上智大4年生だった小林順子さん(当時21歳)を失った父、賢二さん(73)は7日、取材を受けた経緯を「最初は本当にいやだった。でも事件が風化されちゃうんじゃないか、そんな危機感からテレビカメラの前で遺族としての苦しみや悲しみなどいろいろ吐露しながらやってきた」と語る。

  • 「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
    「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
  • 事件の情報提供を呼び掛けるポスター
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  • 「事件の風化は一番怖い」と訴える賢二さん(2019年8月7日編集部撮影)
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「事件現場に行くと、カメラの『砲列』ですよ」

   警視庁によると、事件は96年9月9日15時50分から同日16時40分ごろまでに、葛飾区柴又の小林さん宅で発生。小林さんは何者かに刃物で殺害され、自宅は放火された。事件発生から間もなく23年を迎えるが、犯人はいまだ不明のままだ。

   賢二さんは、殺人事件被害者遺族の会「宙の会」会長も務めているが、今回、「一被害者遺族の意見」としたうえでJ-CASTニュースの取材に語った。

   最初に事件への疑問を、賢二さんは投げかけた。

「(事件)発生当初から一貫して、私や家内も含めて遺族の頭にあるのは、なぜなんだと。なぜ娘が、なぜ我が家が。なぜうちの家族が、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。これのずっと連続なんですね。犯人さえ逮捕されれば一挙に解決するわけですけれども、いま解決がなされてない状況の中で、いまだにずっと引きずっているわけなんですよ」

   事件発生直後、犯行現場となった自宅周辺には、マスコミが押しかけた。

「事件現場に行くと、カメラの『砲列』ですよ。こっちを狙っているような、大砲の大筒のように見える。これがいやでしたね。放火されて焼け跡でしょ。わずかに焼け残った建屋でたまたま階段のところが焼け落ちちゃったもんだから、現場検証などで外からはしごで2階に登っていくんですけども、そんなのも当然撮られるわけですよね。口には出しませんけど、『なに見てんだ、見世物じゃねえよ』という感情はあったと思う。こっちは『見世物』『さらし者』、そういった感じですよ。本当にいやでしたね。こっちは悪いことをしていないのに、(現場検証の時に)報道陣の目をかいくぐって、(家の)裏口からこそこそと出たり入ったりとかやりましたよ」

   発生から数年、マスコミとの接触を警察から止められていた。捜査に支障がでるおそれがあったからだという。初めて接したのは、約3年後。捜査が膠着状態になり、事件の詳細や遺族の心情を伝えようと、週刊誌のライターからの取材に応じた。

   時間がたつにつれ、警察との接触の機会も減っていた。「もちろん警察署の中に特捜本部を置いていますが、本当にやってくれてんのかな。こういう疑問が湧いてくる」。賢二さんは、疑念を募らせていった。

時効撤廃訴え署名...「メディアの力」も実感

   マスコミの記者を通じて、一般人の声を聞くことがあった。「一般の人たちが『あの事件犯人捕まったんでしょ』『解決したんじゃなかったんでしたっけ』などと、中には誤解をしている人もいる。遺族の気持ちを踏みにじるような。これは自ら画面に出て、世の中に訴えていかないと、事件が忘れ去られてしまう、事件が風化してしまう、という危機感を持った」。偶然にも当時、テレビ局から取材依頼があった。顔を写さない形で、テレビカメラの前に初めて出た。

「できればあまり接したくはなかったけども、事件が世の中から忘れ去られるんじゃないか、風化されちゃうんじゃないか、そんな危機感から、テレビカメラの前で遺族としての苦しみや悲しみなど、そういったものをいろいろ吐露しながらやってきた」

   当時の「公訴時効」の問題も浮かび上がってきた。「いつか警察が解決してくれるだろうと。最初の段階では意識もしていなかったが、時効という2文字が脳裏に、おぼろげなら浮かんでくるんですよ。さらにたつと、その2文字がくっきりと頭の中に刻みこまれちゃう。未解決のまま15年がたって、時効の15年の壁を前に無念の涙を流した遺族だってこの世の中にたくさんいるわけですよ。もしかしたら、このまま自分も何もしないで手をこまねいていたら、そのうちの1人になっちゃうかもしれないという危機感を持つようになった」。時効の問題が浮き彫りになり、「(順子が)この世に生きていたんだという証しを、あの子のために残してやりたい」という気持ちが強くなった。

   08年ごろ、賢二さんはテレビに顔出しをするようになった。「好き好んで顔を出したわけじゃなかった。何としてでも時効を廃止するんだという切迫した気持ちがある。いつまでも顔出しをしなかったら我々の訴えが伝わらない」。

   未解決事件の遺族らと一緒に2009年2月、「宙の会」を結成。会は09年6月、時効制度撤廃などに向け、嘆願書や約4万5000人分の署名を当時の森英介法務相に提出した。

「やっぱり有効だったのは、メディアの力ですよ。1つは遺族が直接、世間一般の人に語り掛けること、訴えること。もう1つは時効っておかしいよ、人の命を奪っておいて逃げ得を許していいのかということを絶えず発信をして、各メディアが流してくれた。これで世論も盛り上がるわけですよ」

   公訴時効の廃止などを盛り込んだ改正刑事訴訟法は10年4月27日に成立し、即日施行された。

「遺族の心情、あるいは協力者に対する心情を大切にすること」

   小林さんは「いま世の中で『メディアをいやがる』などと言われているかと思うけど、私の場合はむしろありがたかったですよ」としつつ、取材を受ける際の心境を改めて語った。

「時間によって気持ちは変わってくると思う。最初は(取材が)本当にいやだった。でも、(捜査が)膠着状態になってくる。事件の風化は一番怖いわけです。情報も先細り。その(風化を防ぐ)ためにはひたすら、自分から発信すること」

   「すべての被害者遺族を代表して言っているわけじゃないが、私の場合は時間によって気持ちが変化してきた」としたうえで、行き過ぎる取材にはくぎを刺す。「遺族によっては即オッケーという人や、永遠にいやだという人もいるかもしれない。そこでいやがる遺族に対して無理強いをすることはいかがなものか」としたうえで、順子さんの事件取材で、昨年ごろ生じたトラブルにも触れた。

「うちの事件の場合、(発生)当日は夕方で、もともと人通りが少ない通りなんですよ。おまけに雨が降っていて目撃情報が非常に少ない。そんな中、貴重な目撃情報を持っている人がいて警察の人も頼りにしていたが、あるテレビ局がかぎつけて引っ張り出して、無理な取材をお願いしたらしいんです。その方は頭にきちゃって、一切協力しないと言いだしちゃって警察も困っている。マスコミのほんのちょっとした動作が捜査にも影響しかねない。あくまでも遺族の心情、あるいは協力者に対する心情を大切にすることです」

(J-CASTニュース編集部 田中美知生)

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