2024年 4月 20日 (土)

14106=愛してる、じゃあ389-334は? 時代映した「ポケベル語」を振り返る

   「14106(愛してる)」「0906(遅れる)」「310216(喫茶店=サテンにいる)」――無線呼び出しサービス、いわゆる「ポケットベル(ポケベル)」が、最後まで提供していた東京テレメッセージ(東京都港区)のサービス終了により、2019年9月30日、その歴史を終える。

   その全盛期だった1990年代、盛んに使われたのが上に挙げたような「ポケベル語」だ。数字などの語呂合わせを元にしたもので、当時は専門のマニュアル本も作られ、ベストセラーにもなった。当時の書籍や新聞記事などから、その流行を振り返ってみよう。

  • 当時使用されていたポケベルの現物と、「ポケベル語」のガイドブック
    当時使用されていたポケベルの現物と、「ポケベル語」のガイドブック
  • 当時使用されていたポケベルの現物と、「ポケベル語」のガイドブック

あなたはいくつわかりますか?

   さっそくだが、広まり始めたころの新聞記事(朝日新聞1994年4月3日付朝刊)の「ポケベル語クイズ」から、いくつかピックアップする。あなたはいくつわかるだろうか?

(1)39219
(2)11110-16
(3)11007
(4)84541016
(5)5731

   正解は、(1)先に行く(2)いい人、いる?(3)いい女(4)ハシゴしている=2軒目の店にいる(5)ごめんなさい、だ。法則性に慣れないとなかなか難しいが、実のところこれらは初歩の初歩である。最盛期には、さらに複雑な新語が次々誕生する(記事後半で紹介)。

   こうしたポケベル語はどのように生まれ、どう使われ、そしてどうして消えてしまったのか。その歴史を振り返るには、ポケベルそのものの歩みを少しひも解く必要がある。

   日本でポケベルのサービスが始まったのは、1968年のことだ。当初はその名の通り、着信しても電子音が鳴るだけ。外出の多いビジネスパーソンなどが、その主な利用者だった。

   1980年代後半に入ると、利用料金も下がり、ユーザー層が広がり始める。またこの時期から、今「ポケベル」と言われて多くの人が連想する、数字などを表示できる商品が登場した。とはいえ、これらはあくまで電話番号などの通知を想定したもので、「ポケベル語」が生まれるまではなお5年ほどの時間がかかる。

最初に使い始めたのは「悪人」だった?

   この数字をコミュニケーション手段として使い始めたのは、誰だったのだろうか? 当時の新聞を見ると、思わぬ層が浮かび上がる。

「密売人、メッセージ式ポケベルで直接注文さばく 福岡」(朝日新聞90年3月3日付朝刊)

   この記事によると、福岡の麻薬密売人の間では80年代末からいち早く数字が送信できるポケベルが普及、「暗号」化した数字を送り合うことで、客との取り引きを効率化していたという。

   別の記事(読売91年7月17日付朝刊)でも、大阪の暴走族グループがポケベルを持ち合い、「数字による暗号を作って、警察の取り締まりや集合場所などの連絡を取り合っていた」との話題がある。確かに、ポケベル語は簡単な暗号そのものだ。真っ先に飛びついたのが密売人や暴走族など、後ろ暗いところのある人たちだったというのは自然である。直接の影響はとにかく、ポケベル語の「前史」ともいえる。

進化と難解化と

   先に書いたように、ポケベルは当初、ビジネスパーソンが主なお得意様だった。1990年6月末時点では、契約の9割以上がビジネス目的だったという。しかしこのころから、各社は若者をターゲットに据え、白やピンクなど、カラフルな端末が目立ち始める(朝日90年9月1日付夕刊)。

   これを受けて92~93年ごろには、女子高生などを中心にポケベルが本格的に流行し始める。93年にはドラマ「ポケベルが鳴らなくて」(日テレ系)も放送された。こうした中で自然発生的に生まれたのが、「ポケベル語」だ。94年には『ポケベル暗号BOOK』(双葉社)が発売され、ベストセラーになった。ここから、1000万台を超える契約数を記録した96年ごろまでが、ポケベル全盛期だ。

   だが、この全盛期のポケベル語はかなり「難解」だ。竹書房から刊行されていた『ポケベル生徒手帳』(94年)『ポケベルおしゃべりノート』(95年)から抜粋する。

3962291-02=何でしょう?

・690259=無間地獄
・5-1000090410=ゴーマンかまして~
・3962291-02=知ってるゾー!(桜吹雪が目に)
・16410=素敵よ、光ってる(アルシンド)
・389-334=とても孤独で、つらくて(砂漠のミミズ)
・00407913=話し合ってるとすぐ怒り出す人(大島渚)

   単なる語呂合わせだけでなく、謎かけや時事ネタなども盛り込まれた、非常に「ハイコンテクスト」な代物だ。今の目で見るとずいぶん回りくどいコミュニケーション手段にも見えるが、その謎解きなども含めての楽しみだったことを、前述の『ポケベル暗号BOOK』の担当編集者が、朝日新聞の取材に答えている。

「実用的に連絡を取り合うというよりは、ユニークなメッセージを考えて送ったり、判読すること自体に楽しみがあるようだ。情報としては無意味なメッセージもたくさんあり、友達と仲良しであることをいつも確認し合いたいのでは」(94年2月21日付夕刊)

   ――だが、そんなポケベル語の終焉は早かった。ほぼ同時期の94~95年ごろから、各社がカタカナなどでのメッセージに本格対応し始めたのだ。今度は女子高生の間では、いかに速く文字を打ち込めるかがステータスになり、ポケベル語の存在感はダダ下がりに。

最近のネットスラングと似ている面もあるが...

   とどめを刺したのがPHS・携帯電話の登場だ。料金も大差なく、機能面では優位なPHS・携帯電話の攻勢に、今度はポケベルそのものが消えていった。すでに95年の『ポケベルおしゃべりノート』で、巻末に当時の最新ケータイのガイドが載っているのが、この構図を象徴する。

   こうして、いつしか姿を消すことになったポケベル語。ITジャーナリストの井上トシユキさんは、その後の「2ちゃんねる語」や最近のSNSなどでの「ネット流行語」と、ポケベル語は「似ているようで違う」と分析する。

「サブカル的なコミュニケーション、という点では共通しますが、ネット上の言葉は、同じコミュニティーの中でだけ通じればいい、という傾向が強い。仲間ごとに独特の表現があり、しかも次々新しい言葉が生まれますから、私なんかでも調べないとわからないことがある」

   一方でポケベル語は、自然発生的に生まれた言葉でありつつ、前述したようなマニュアル本などを通じて、地域やコミュニティーを越えた広がりを見せ、「女子高生などのみならず、若ぶろうとする『おじさん』たちにも使われた」と井上さんは言う。その後間もなくネットが普及し、大きくコミュニケーションの形が変わったことを考えると、広い層が使えた俗語・スラング群としては、「ポケベル語は『最後』のものと言ってもいいかもしれません」。

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