2021年 3月 5日 (金)

シベリアに眠る父の埋葬地は、ゴミ捨て場と化していた【71年目の死亡通知】(上)

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遺族にとっての埋葬地は「肉親が眠る墓地」

    私たち遺族が埋葬地にこだわるのは、シベリア抑留者の埋葬地は、だれが葬られているとも知れない「無縁墓地」ではないからだ。

筆者の父の「埋葬証書」。シベリアの埋葬地が「無縁墓地」ではないことの証
筆者の父の「埋葬証書」。シベリアの埋葬地が「無縁墓地」ではないことの証

   アジア・太平洋地域の激戦地とは違い、旧ソ連は抑留者を労働力として使役するために個人情報を記録として残していた。そして、ペレストロイカ(改革)を掲げて東西の緊張緩和を進めた旧ソ連のゴルバチョフ大統領が1991年に来日した際、先述の「日ソ協定」が結ばれ、抑留中死亡者3万8000人分の名簿が日本政府に渡された。

   その後も追加の死亡者名簿や抑留者の登録カードがロシア側から提供されるようになり、それらの資料と日本側の資料とを照合した結果、約5万5千人の抑留犠牲者のうち、これまでにその7割以上、約4万人の氏名や出身地、死亡日時や埋葬地が特定され、遺族に通知された。

   シベリア抑留犠牲者の遺族の多くはいまや、自分の肉親がいつ、どこで亡くなり、どこに葬られたかを知っており、その埋葬地にお参りすることも不可能ではなくなった。つまり、多くの遺族にとって、シベリアの埋葬地は、遠く離れてはいても文字通り肉親の眠る墓地であり、粗末には扱えない存在なのだ。

   しかも、ほとんどの埋葬地には通常、2ケタの遺体が葬られており、中には父の埋葬地のように100体を超えるところもある。

   遺族の立場を離れても、日本人抑留者が建設に従事した鉄道や建造物などとともに、埋葬地は旧ソ連による約60万の日本人の不当な拉致・抑留を記憶にとどめるための「歴史的遺産」でもある。

   最近はまた、ルーツ探しが盛んだ。孫が祖父の埋葬地を訪ねて、そこが原野と化していたらどうだろう。若い世代への歴史の継承という点からも、保全をおろそかにはできない。

   日本政府は埋葬地のある共和国、地方、州ごとに小規模慰霊碑を順次建立しており、これまでに15か所に建てられている。どこに葬られたか分からない抑留犠牲者のために、こうした慰霊碑を建立することは大切なことには違いない。

   しかし、当然のことだが、肉親が眠っている埋葬地こそが、その遺族にとっての墓地であり、小規模慰霊碑はその代わりにはならない。個々の埋葬地を管理するのは大変だから、小規模慰霊碑で我慢してくれというのが国の考えだとすれば、遺族の気持ちとの間には、大きなずれがあると言わざるをえない。

   ちなみに、プリモルスク地方(沿海地方)では2010年にアルチョム市に1基建立されているが、北海道の2倍以上の面積を持つこの地方には、厚労省の埋葬地別名簿によると約140か所の日本人埋葬地が存在している。

【71年目の死亡通知】(下)に続きます

増子義孝 (ますこ・よしたか) 1937(昭和12)年岩手県生まれ。岩手県立大学名誉教授。1962年朝日新聞社に入社。
1970年インドネシア・ガジャマダ大学に留学。その後、社会部次長、外報部次長、アジア総局長、論説副主幹などを経て、「地球プロジェクト21」NGO・国際協力チーム主査。この間、ジャカルタ、ニューデリー、バンコクなどに駐在。
1998年4月から岩手県立大学総合政策学部教授。
主な訳著書に『スハルトのインドネシア』(サイマル出版会)、『最新アジア考現学』(朝日新聞社)、『市民参加で世界を変える』(朝日新聞社)など。

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