2024年 4月 25日 (木)

KKコンビの壁は高かった ミスター日ハム・田中幸雄氏が振り返る「1984年の甲子園」

人気店や企業から非公開の招待状をもらおう!レポハピ会員登録

「桑田のカーブは背中を通ってくるような感じで...」

「桑田と清原は同級生でしたが、清原は本当に同級生かと思うほど大きく、清原の打球の速さにびっくりしたのを覚えています。桑田はそれほど上背がありませんでしたが、下半身がしっかりしていましたし、カーブがすごかったですね。桑田のカーブは背中を通ってくるような感じで、体に当たるのではと思うくらい変化しましたし、まっすぐも速かったです。試合は都城の押せ押せで、もししたらと思ったのですが」(田中氏)

   84年の選手権大会3回戦でまたもPL学園が立ちはだかった。試合は選抜大会とは大きく異なり、都城高は1-9の大敗を喫した。田中氏は「夏は完全に力の差が出た内容でした」と振り返り、「PLは能力の高い選手が多かったです。関西の中学からいい選手が多く集まり、その中からレギュラーを勝ち取るわけですから本当にレベルが高かったです」と語った。

   3年時の夏の地方大会ではチームは3回戦で敗退し、甲子園の土を踏むことが出来なかった。田中氏が甲子園でプレーしたのは2年時の春と夏の2度。田中氏はその当時は緊張の連続だったという。

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中