外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(6)
欧州のコロナ禍、国による違いは何だったのか

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都市封鎖の下でのパリの生活とは

   ここで話題を変えて、フランスの市民が都市封鎖のもとでどんな生活を送っていたのか、振り返ってみたい。

   5月19日、ZOOMでパリに住む石村清則さんにインタビューをした。石村さんは私の高校同期で、パリ・インターナショナル・スクールで、第一言語として日本語を選択する生徒に、文学作品などを通して日本語を教えている。同校は、最近日本でも増えている「国際バカロレア」(IB)カリキュラムを採用し、幼稚園から高校3年まで70か国の園児や生徒が学ぶ。石村さん夫妻はパリに在住して37年に及ぶ。

   石村さんの自宅はパリ16区にある。パリはルーブルのある1区から、時計回りに渦巻き状に20区が連なり、その形状から「カタツムリ」の愛称で知られる。16区はパリ西部でセーヌ右岸、ブローニュの森に隣接する地域だ。私もかつてお邪魔したことがあるが、石村さんの家はその16区の南端で、すぐ窓の下にマルシェと呼ばれる路上市が立つ閑静な住宅地だ。居住者は中の中から中の上くらいの層の人が多い。

   フランスで都市閉鎖が宣言されたのは、3月17日。私が連絡をとったのは、フランスが55日間の制限を緩め、段階的解除を始めた5月11日から8日目のことだ。

「ここの市場も12日には再開しましてね」

   と石村さんは、いつものように柔和な笑みを浮かべて話し始めた。罰則付きのロックダウンといえば、戒厳令下のような極度の緊張を思い浮かべる人が多いだろう。確かに、証明書を携帯し、警察に尋ねられたらそれを見せねばならない。許されるのは、食品や薬の買い物、散歩など1時間の必要最小限な外出に限られ、距離も原則、居住地から1キロ圏内だった。

   だが、後から犬を連れた散歩なども認められ、状況に応じて柔軟に変えていったという。

   取り締まりの警官を見かけることはあったが、尋問されたことはなく、住民を刺激しないよう配慮した印象を受けた。だがこれは、パリ北東部の郊外など、ふだんあまり治安がよくない地域では、対応が相当違っていた可能性があるという。

   石村さんが割合に平穏な55日間を送れたのは、3月16日の休校後、ただちにオンライン授業に切り替え、ふだん通りの日常を送ったからだった。休校が予想されたため学校は事前に教師にオンライン授業の講習を行い、生徒は全員がパソコンやタブレットで授業を受けた。フランス全土で言っても、95%の家庭にはネット接続のパソコンかタブレット、Wi-Fi環境があり、ない場合には自治体がパソコンやルーターを貸し出してくれるという。学校環境ですらIT化が進まず、在宅オンライン授業に切り替えれば「教育格差」を気遣わねばならない日本とは大きな違いだ。

   ふだんから沈着冷静で穏やかな人柄の石村さんだが、私が「パリ発の報道で受けた印象は、非日常が続いて、もう少し大変な状況だとおもっていた」と話すと、石村さんは笑って答えた。

「たしかに、2月半ばにパリ南部のマルセイユ近郊に休暇に行った時は、周りの誰も気にする様子はなかった。マスクを持参したが、周りは誰も着用していないので、自分もマスクを着けなかったほどだ。それが、アルザスの教会でクラスターが発生し、老人介護施設で集団感染が起き、パリに飛び火してから数日で、あっという間にロックダウンまで突き進んだ」

   それでも社会があまり動揺していないように見えるのは、なぜか。皮肉なことにその理由の一つが、テロ事件などが頻発したことにあったという。フランスでは2015年11月のパリ同時多発テロ事件の直後から、緊急事態宣言が発令され、厳しい警戒態勢が敷かれた。これは6度延長され、2017年10月末まで続いた。

「テロの危険から身を守りながら、いかに社会生活を両立させるか。それは暮らしの知恵のようなものだと思う。もちろん、脅威の名のもとに、市民の自由を奪っていいのか、という議論はつねにある」

   だが、都市封鎖の期間中は、十分な議論が行われていたとはいいがたい。野党からの批判もあまりなかった、と石村さんは言う。しかし、段階的に封鎖が解除されるにつれて、医療従事者からの批判は噴き出してきた。

   5月16日付AP通信の報道によれば、マクロン大統領は15日にパリ市内の大手病院を訪ね、医師や看護師らから、不十分な医療体制について、厳しい批判にさらされた。期限切れの医療マスクを使い続けるしかなかったある看護師は、「私たちは絶望している。もう、あなたを信じない。私たちはヨーロッパの恥だ」と嘆いた。マクロン大統領も、これまでの医療改革案が誤りだったことを認め、医療現場の待遇改善を認めるしかなかった。

   日本でも感染者や医療従事者への差別や偏見が問題になったが、それはフランスでも同じだ、と石村さんはいう。

「アパートから出て行けとか、近づかないでくれ、と言われた看護師もいる。その一方で、使っていない部屋を医療従事者に無償で提供をした人も多い。フランスでは夜の8時に窓辺に立ち、医療従事者に一斉に拍手をして感謝を伝える動きが広がった。このアパートでもそうだった」

   フランスでは、感染の度合いや医療態勢の整備状況によって、地域を赤と緑のゾーンに分け、解除の段階もゾーンによって異なる。パリは警戒度の高い赤のゾーンに区分けされているので、まだ行動や営業の制限は多い。6月に学校を再開しても、マスク着用で距離を取り、教科書や本、パソコンの共用を禁止し、学年や学級別の分散登校をしながらオンライン授業を併用するなどの工夫が必要だ。今、学校は親や生徒の要望をアンケートで聞き出しながら、安全な再開に向けて準備作業を進めている。最後に石村さんは、都市閉鎖の解除後の世相を伝える二つの最新ニュースを教えてくれた、一つは、日本のJRにあたるフランスの国有鉄道(SNCF)が切符の予約販売を再開したところ、すぐに売り切れになったことだ。赤のゾーンの人はまだ、100キロ圏内の移動しか認められていないが、バカンスまでには解除されると見込んで、大勢の人が緑のゾーン向けの切符を予約したのだという。

   もう一つは、解除後に、アパートの賃貸物件への需要が急増した、というニュースだ。どうやらこれは、55日に及ぶ「巣ごもり」暮らしを経て、もう同居に耐えられなくなったカップルやパートナーが、別居への道を歩み始めたせいらしい。フランスでも、DVの増加やコロナ離婚という言葉がメディアで伝えられており、この間に水面下で何が起きていたのか、浮上するのはこれからだろう、と石村さんは話した。

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