2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(14) 世界第3の感染者数インドにみる「経済再開」と「防止策」

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

 朝日新聞の奈良部健ニューデリー支局長に聞く

   実際に現地では、どのような事態が繰り広げられていたのか。朝日新聞ニューデリー支局長としてインドを中心とする南アジアをカバーする奈良部健ニューデリー支局長(37)に7月15日、ZOOMで話をうかがった。

   奈良部さんは和歌山、新潟、東京、名古屋勤務を経て東京本社の経済部、政治部で勤め、2017年4月にニューデリーに赴任した。学生時代にインドでホームステイしたことがあり、インド勤務は入社以来の希望だった。

   奈良部さんは3月24日のモディ首相による「全土ロックダウン」宣言は、あまりに突然だったという。

   「夜の8時にテレビで会見し、4時間後の深夜零時には実施するという。会見では、具体的にどのような都市封鎖をするのか、休業や閉鎖に伴う補償はどうなるのか、詳しい説明はなかった」

   ニューデリーや商都ムンバイなどの大都市には、地方から来た膨大な出稼ぎ労働者が非正規労働に従事している。急に職がなくなり、収入を絶たれた人々は、故郷に帰って食いつなぐしかない立場に置かれた。しかも公共交通機関もなく、数百キロを自転車や徒歩で移動するしかない。その数は、数百万人とも3千万人ともいわれている。群れて帰途を急ぐ彼らのあいだで感染が広がり、それが地方に持ち込まれた可能性が高い。

   「十分な食料も持たず、水と下着だけを持って歩いて帰る人もいた。行く先々で食料を分けてもらい、夜は道端やガソリンスタンドで寝る人もいた。その時は、感染だけでなく、無事に故郷にたどりつけるかどうかもわからず、怖かったと話す人が多かった」

   厳格なロックダウンを実施したことについて奈良部さんは、「その措置の是非はともかく、政策的によく説明せず、混乱を招いた点では、説明に欠陥があった」という。

   感染が多いのは、商都ムンバイを擁する西部マハラシュトラ州、首都ニューデリー周辺、南部の製造業の拠点チェンナイなどの大都市だ。こうした大都市には、狭い家に何人もの家族が密集して住む貧困世帯の街があり、衛生環境もよくない。

   とりわけ感染爆発が懸念されたのは、推定で数十万人が暮らすといわれるムンバイのダーラヴィー地区だった。

   ここはダニー・ボイル監督が2008年に製作し、作品賞などアカデミー賞8部門を得た映画「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台として世界的に有名になった場所だ。

   「4月にこの地区で感染が確認されたときには緊張したが、その後、地域で感染が拡大したという報道はない。ただ、ムンバイは映画ボリウッドを抱える町なので、つい最近も有名俳優が感染するなど、国民の関心も高い」

   奈良部さんがいうのは、7月11日に感染が確認された国民俳優アミターブ・バッチャン氏と息子のアビシェーク・バッチャンさんのことだ。翌日にはアビシェークさんの妻で元ミス・ワールドの女優アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャンさんと娘のアーラディヤさんの感染も確認され、ボリウッドの「大スター一家の3世代感染」のニュースが世界を駆け巡った。

   デリー周辺には、日本の首都圏と似た事情がある。先に引いたジェトロの7月7日付レポートによると、その事情は次のようなものだ。デリー首都圏は、首都のデリー準州の約1700万人に加え、周辺のハリヤナ州、ウッタル・プラデシュ州、ラジャスタン州の都の一部の都市が加わっており、人やモノが行きかう一体となった生活・経済圏だ。インドでは連邦と州が感染に応じて別途の制限をかけられるため、同じ首都圏でありながら違う対応策が取られ、交通が混乱したり、労働者が通えなくなるなどの混乱が生じたという。

   ロックダウン下で、奈良部さん自身はどのような生活を送っていたのか。

   「必需品買い出し以外は外出禁止だったが、食料品や金融機関、ガソリンスタンドは開いていて、生活に困ることはなかった。ただ、食料品店は入店者の人数が5人に制限され、店外には地面に2メートル間隔でチョークの線が描かれ、長蛇の列ができ、時間がかかった。家には日本人学校に通う小学生、現地校に通う幼稚園生がいるが、いずれも休校・休園になった。基本的に、10歳以下の子どもと高齢者は外には出られない、という生活だったと思う」

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