2024年 4月 19日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(14) 世界第3の感染者数インドにみる「経済再開」と「防止策」

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元大学教授のプレム・モトワニさんに聞く

   奈良部さんに続いて7月20日、ニューデリーに住むプレム・モトワニさん(65)にZOOMで話をうかがった。

   モトワニさんは昨年まで国立ジャワハルラール・ネルー大学の教授を務めた。日本語だけでなく、日本型経営についても教え、長年の日本研究の功績から、日本の外務大臣賞を受けたこともある。モディ首相が「メイク・イン・インディア」という政策で製造業振興に力をいれていることから、退官後は、戦後日本の「メイド・イン・ジャパン」の経営手法をどうインド文化に取り入れるかについてインド企業を相手にコンサルタントの仕事を請け負い、日本科学技術連盟が授与するデミング賞や、日本ブランドメインテナンス協会が授与するTPM賞に応募するための助言などを行ってきた。日本文化にも詳しく、それとの比較で今回のインドの対応についてうかがおうと思った。

   今回モディ政権が取った厳格な都市封鎖にについて、モトワニさんは開口一番、「大失敗だと思う」とおっしゃった。理由はやはり、大都市に住む出稼ぎ労働者のことを十分に考えなかったからだという。

   「ここ数年、インドの製造業は減速しており、それを埋めるかたちでサービス業が伸び、非正規労働者の雇用が急増した。最近は非正規の仕事に就くことも難しくなり、隙間時間を使って単発の仕事をこなす『ギグワーク』が増えていた。デリーやムンバイなど大都市のサービス業は、地方から出稼ぎにきたギグワーカーによって支えられてきたといっても過言ではない。それが、夜の8時にモディ首相が都市封鎖を宣言し、4時間後には実施になって、職を失う状態になった。数百万人の人が収入のないまま都会に取り残され、身動きができない状態になった」

   出稼ぎ労働者は、自転車や徒歩で郷里に帰るしかなかった。収入がなくなったうえ、家賃の支払いを迫られ、大家から退去を命じられたからだ。都市封鎖が一か月も続くと、閉鎖したレストランやサービス業でも休業補償がないため倒産が相次ぎ、従業員はクビになって同じ道をたどった。

   「そもそも、狭い一部屋に何人もで暮らしていた人が多い。検査数が少ないから、感染者の数も、広がりもわからなかった。そのまま大都市から地方に数百万人が移動し、全インドに広がった。デリーやムンバイでの感染はピーク・アウトしたかのように見えるが、今は地方での感染が拡大している。

   「新型コロナが厄介なのは、重症化する人もいれば、無症状者も多く、本人の自覚がないまま活動して、感染を広げることもある、という点だ。多くの人が移動した結果、感染が広がったのは間違いない。ただ、今のインド人の多くは、自分を含む大部分の人が感染しており、免疫力によって発症を防ぐか回復したと考えているようだ」

   モディ政権は、当初取った厳格なロックダウンについて、「人口密度が高い都市を多く抱え、医療施設が未整備だったので、すぐに封鎖するしかなかった。その間に医療体制を整備し、今は対応できている」と釈明している。実際、当局発表によるとデリーでは、競技場や集会場に仮設の医療施設を作り、5~6千床は足りている、という。軽症者は自宅で療養し、重症化すれば電話で連絡をして、近くの病院から医療関係者が駆け付けるシステムができている、という。

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