2024年 4月 26日 (金)

コントレイルは果たして...「三冠馬」たちのその後 大記録の達成もあれば、苦戦の後半生も

   競馬のGI・菊花賞が2020年10月25日、京都競馬場で行われ、圧倒的1番人気に推されたコントレイルが、福永祐一騎手を背に勝利を収めた。皐月賞、日本ダービーも制しており、史上8頭目の「三冠馬」となる。また、デビュー以来「無敗」での三冠達成は、父・ディープインパクト以来3頭目の大記録だ。

   さらなる活躍への期待も高まるが、これまでの先輩三冠馬たちは、その後どのような足跡をたどったのか。7頭の経歴を振り返る。

  • 初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している
    初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している
  • 初代三冠馬・セントライト。菊花賞後そのままレース出走することなく引退している

レース名にも名を残すセントライト

   そもそも三冠馬とは、3歳馬にとっての最高峰レース、皐月賞・日本ダービー・菊花賞をすべて制した馬のことを指す。いずれも生涯一度しか挑戦できず、スピードが重視される皐月賞から、スタミナが求められる菊花賞と特性も大きく異なる3レースをすべて勝利することは至難の業だ。

   史上、最初の三冠馬となったのは1941年のセントライトだ。デビュー2戦目で皐月賞の前身「横浜農林省賞典四歳呼馬」を勝つと、東京優駿(ダービー)も圧勝し、京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)も完勝した。

   三冠を花道に引退し、種牡馬(しゅぼば)として子を残すことに。第2次世界大戦をはさむ厳しい時代だったが、子であるセントオーが菊花賞を親子2代制覇するなど一定の成功を収めた。1965年に老衰で死亡。菊花賞の前哨戦「セントライト記念」は、もちろんこの馬に由来する。

   戦後、東京五輪と同じ1964年に三冠を達成したのが「ナタの切れ味」シンザンだ。菊花賞ののちも現役を続け、天皇賞(秋)、有馬記念といった大レースを制したことから「五冠馬」とも呼ばれた。

   引退後も父として大きな活躍を見せる。当時は日本産馬は種牡馬として人気がなく、どれだけ活躍した名馬でも、海外からの輸入種牡馬に押されて成功を収めることが難しかった。しかしシンザンは、皐月賞・菊花賞の「二冠」を達成したミホシンザンをはじめ、多くの活躍馬を輩出し、その血を次代につないだ。1996年死亡するが、35歳という年齢はサラブレッドを含む軽種馬としては当時「最高齢記録」だった。

1歳違いの2頭の「三冠馬」

   そのシンザンから約20年を経て、1983年に三冠を制したのがミスターシービーである。後方からレースを進め、終盤に追い込みをかけるというスリリングなスタイルは、ファンから大きな人気を呼んだ。

   もっとも、三冠達成後のシービーは厳しい戦いを強いられる。1歳下に同じく三冠馬となるシンボリルドルフが登場し、また同世代のライバルたちにも苦杯を喫した。菊花賞後は6戦して、勝利は天皇賞(秋)のみ。種牡馬としても、スタートダッシュには成功したものの、結局GI級のレースを勝つ大物は出ないまま、2000年にこの世を去った。

   前述のシンボリルドルフは1984年に4頭目の三冠馬となる。しかもそれまで一度の敗北もなく、初の「無敗の三冠馬」だ。直後のジャパンカップで連勝記録は途切れたが、シービーとの三冠馬対決はいずれも完勝、以後2度の有馬記念制覇も含め、GI級レースを三冠含め7勝し、「七冠馬」「皇帝」の異名をとることとなる。ディープインパクトとどっちが「日本史上最強馬」か、はファンの間でも議論が分かれるところだ。

   米国での遠征で故障して引退後も、二冠馬トウカイテイオーという優秀な「二世」を残した。2011年に30歳で死亡している。

種牡馬として大成功するディープインパクト

   1994年にはナリタブライアンが「平成最初の三冠馬」となった。顔につけた「シャドーロール」と呼ばれる馬具がトレードマークで、アイドル的な人気を呼んだ。

   菊花賞後は有馬記念を制したものの、その後はケガもあって大スランプに。1996年の阪神大賞典では1歳下のマヤノトップガンとの「名勝負」を制したが、全盛期の輝きは取り戻せないまま、短距離レースの高松宮杯を最後に引退した。

   種牡馬としての巻き返しが期待されたが、1998年に胃破裂で死亡。100頭あまりの子らからは活躍馬は出ず、今のところ三冠馬としては最も成果を出せていない。

   2005年、圧倒的な強さを見せて無敗の三冠を達成したのが、コントレイルの父親・ディープインパクトだ。こちらもシンボリルドルフ同様、次走の有馬記念で初敗北となるが、その後も快進撃は続き、GI級レースを合計7勝、またフランスに遠征し、世界最高峰レース・凱旋門賞にも挑んだ(3位入線も禁止薬物検出で失格)。

   さらにすごいのが引退後で、その子たちは次々とGI級レースを勝利、国内の種牡馬ランキングでは2012年以来首位をキープする。海外でも、また孫世代からも有力馬が出ており、その血は世界中に広がりつつある。2019年に惜しまれつつ死んだが、その種付け料はなんと4000万円という巨額だった。

   直近、2011年にはオルフェーヴルが三冠を達成した。三冠達成後は国内に留まらず、日本競馬界の期待を背負って凱旋門賞に2年連続で挑み、いずれも2着と惜敗した。種牡馬としては皐月賞を勝ったエポカドーロも出ていて、なかなかの滑り出し。

   8頭目の三冠馬となったコントレイルは、この先輩たちの誰に近いルートをたどるのか。それとも、まったく新しい三冠馬像を切り開くのか。

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