2021年 8月 5日 (木)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(34)科学ジャーナリスト・尾関章さんと考える「科学報道」の落とし穴

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PCR法とは

   尾関さんが、「科学医療報道に、公の視点が欠けていた」と考えるに至った最初のきっかけはPCR検査の問題だったという。

   尾関さんは現役時代からPCRについて関心を寄せ、コロナ禍が始まる前の2019年8月、やはり論座に「DNAで俗世間を変えた人キャリー・マリス死す」という文章を寄せている。その月に亡くなった米国の生化学者を追悼し、その業績の広がりがいかに社会を変えたのかを振り返る文章だ。その文章に沿って、PCRとは何かをおさらいしておこう。

   1953年、ジェームズ・ワトソン(米)とフランシス・クリック(英)は、DNA(デオキシリボ核酸)が二重らせんの立体構造をもち、そこに4種の塩基が暗号文字のように並んでいることを突き止めた。遺伝子の正体が姿を現した。この発見を踏まえて70年代前半に遺伝子組み換え技術が開発され、バイオテクノロジーが興る。発がんや免疫もDNAレベルで研究されるようになる。尾関さんが科学記者になった83年は、それが活況を呈した時期だった。だが、当時はまだ、DNAの塩基配列という情報のかたまりは、研究者やバイオ系技術者の手にあり、日常生活には縁遠い存在だった。

   尾関さんによれば、その状況を一変させたのが、85年、バイオ系ベンチャー企業に勤めていたマリスが開発した「ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法」だという。

   PCR法とは、ひと口でいえば「DNAの大量コピー法」だ。それは次のような手順を踏む。

1 DNAの「二重らせん」をかたちづくる鎖2本を加熱によっていったんほどく
2 鎖のコピーをとりたい部分に目印をつける
3 ポリメラーゼという酵素がその部分に絡みつくもう1本の鎖を合成する
4 その結果としてDNAの「二重らせん」が倍増する

   これを数時間かけて数十回繰り返すと、何百万ものコピーを手にすることができる。

   尾関さんによれば、ポイントは「わずか」を「大量」にするところにある。学者が検体から採りだせるDNAは微量で、そこから塩基配列の情報を得るのは至難の業だ。大量にコピーを取れたなら詳しく調べられる。実際、世界中の研究者がこの発明に飛びついた。

   朝日新聞で、PCRについて最初の記事を書いたのは尾関さんだった。名古屋市で開かれた89年の日本癌(がん)学会の事前取材で、「今回の目玉はPCR」と教えてもらい、記事にした。たとえば東京大学医学部第三内科のグループは、白血病患者のごく少数の細胞で起こる遺伝子変異を、PCR法で見つける試みを発表した。記事で尾関さんは、こうした動きを前文で伝え、「白血病の治療効果を確かめ、再発を防ぐのに威力を発揮する」というグループの見解を伝えた。

   「PCR旋風」はDNA情報を臨床医療に生かす契機となった。遺伝子診断や遺伝子治療の動きが本格化したのは、このころだ。90年夏には国際医学団体協議会が、愛知県犬山市などで国際会議を開き、遺伝子診断や遺伝子治療に対して当面の指針となる「犬山宣言」を発表している。

   論座論考「DNAで俗世間を変えた人......」によれば、「PCR旋風」は医療にとどまらなかった。たとえば、犯罪捜査。それまで、容疑者の特定には指紋の照合が頼りで、血液型は決め手にはならなかった。ところがDNA型鑑定は、PCR法を活用することで、容疑者をごく微量の遺留物からきわめて高い精度で割りだせるようになった。

   PCR法は、エンタメの世界にも影響を及ぼした。その象徴は、93年公開の映画「ジュラシック・パーク」だ。琥珀に封じ込められた蚊の体から微量の血液をとりだし、そのDNAをもとに恐竜の生体を復元する筋書で、これもPCR法抜きには発想できない。

   マリスは1993年、PCR法の発明でノーベル化学賞を受けた。

   尾関さんは、マリスの方法は、基礎科学分野のDNA構造解明から30余年後、その応用分野で開発された一つの技術に過ぎないが、社会の在り方を広範に変えたという意味で、ワトソン、クリックの発見に匹敵する偉業に思える、と結んでいる。

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