2021年 7月 26日 (月)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(34)科学ジャーナリスト・尾関章さんと考える「科学報道」の落とし穴

富士フイルムが開発した糖の吸収を抑えるサプリが500円+税で

なぜPCR検査に限界があったか

   これほど広範に使われ、身近になったPCR法による検査が、なぜコロナ禍の日本では目詰まりを起こしたのか。問題はそこにある。

   尾関さんは、今回のコロナ禍で政府や自治体が最も批判されたのは、PCR検査の処理能力不足だったろうという。

「検査件数が限られているために隠れた感染者を見つけることが遅れ、結局は市中感染を広げた」

   そんな声が専門家の間から起こり、世論も同調した。

   今回の新型コロナウイルスのように遺伝子がRNAであっても、それをDNAに写しとれば複製できる。この方法で、微量の検体からでもウイルス遺伝子の存在を把握できるのだ。03年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が近隣国で広まったとき、その感染の判定にPCR検査が使われた。だから、未知の感染症の蔓延を見込んで、いざというときに検査件数をふやせるようにしておくべきだった。そう尾関さんは指摘する。

   だが、実際はそうならなかった。09~10年に新型インフルエンザに広まったときもPCR検査の提供態勢は不十分だった。

   専門家を集めた厚労省の「新型インフルエンザ対策総括会議」は2010年6月の報告書で、感染症の発生動向調査(サーベイランス)の能力を高める具体策として地方衛生研究所のPCR検査体制などを強化することを求め、「発生前の段階からの準備」の必要を訴えていた。

   感染症対策の態勢づくりは、政府や自治体の仕事だ。だが、それが遅々として進まないのなら、ジャーナリズムがその実態を明らかにして加速を促すべきだった。

   しかし、科学ジャーナリズムはこうした「公」の問題に切り込む視点に欠けていた。それが尾関さんのいう「自省」なのである。

今すぐ無料会員に登録して、コメントを書き込もう!
姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中