2024年 4月 20日 (土)

なかにし礼さんが貫いた「3つの姿勢」
保阪正康の「不可視の視点」<特別編>(3)

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   昨年(2020年)12月末から、今年の1月までに、私は何人かの友人や知人を喪った。皆一様にあの戦争の内実を語り、二度と戦争はごめんだという言葉で自らの人生を総括していた。可視と不可視で近代日本史を見つめるこの連載とは別に、前回は作家の半藤一利さん(今年の1月12日に亡くなった)の、昭和史と向き合う姿勢の中に次代の者に継承してほしいとの願いがあることを記述してきた。

   今回は、作家で作詞家のなかにし礼さん(昨年12月23日に82歳で亡くなった)の、近代史へ対峙する構えを通して、私たちは学ばなければならない点が多いことを書いておきたいと思う。なかにしさんは、特に晩年は多くの価値ある言葉を残しているように思えるからだ。

  • なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
    なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • なかにし礼さん。「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったことを憤っていた(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

「軍国主義化した国家は信用するな」

   私は、なかにしさんと深い会話を交わすようになったのは、晩年の10年ほどである。作詞家の顔については、詳しくは存じ上げないので深く触れることはできない。会話を交わすようになったのは、北海道新聞で1年に1回開かれるフォーラムだ。たまたま私は札幌出身でもあり、このフォーラムのパネリストを毎回務めていた。ある時、なかにしさんがゲストスピーカーで、シンポジウムにも出席してもらうために、北海道新聞の関係者となかにしさんと会食の席をもった。その折に、がんとの戦い、戦争体験(旧満洲からの引き揚げ体験)、さらには昨今の憲法の骨抜きなどへの強い不満の声を聞いて、私も共鳴するところが多く、そのような話をぜひ北海道の読者に聞かせるべきだと説いた。

   なかにしさんは、忙しいスケジュールの合間を縫って、このシンポジウムに出席してくれたのだが、その前後にも何度か話し合いの機会をもった。加えてある週刊誌に、私は連載を続けていたのだが、なかにしさんも連載を書いていた。その担当者が同じ編集者だったために、その後もメッセージの交換が続いていた。なかにしさんの代表作『赤い月』が文庫になる時に解説を頼まれて書いたこともあった。

   こうした交流を経て、私はなかにしさんの、時代に向き合う構えには、次の3つがあることを知った。戦後民主主義世代のまさに骨格足りうるものでもあった。むろんこれは私の目から見てということでもある。

1、軍国主義化した国家は信用するな
2、自らの人生は自らが責任を持て
3、歴史を見る目は常に冷静であれ

「偽満州国」が反国民的な国家になったことに憤る

   このほかにも政治、歴史、社会、そして人物を見抜く目を持ち、その目を大切に守れ、というのが、なかにしさんの哲学であるように思えた。私が印象に残っている言葉は、「自分は国家に何度も裏切られている」という言葉である。なかにしさんの両親は、旧満州国の牡丹江に赴き、大々的に商店を開いていた。国家の政策によって満州には、開拓農民をはじめ、半ば強制的に入植した人たちも多い。あえて言えば、満州国とは「王道楽土」「五族協和」を掲げた人造国家とも言えるのだが、それを実質的に支配したのは日本の軍人や官僚たちであった。

   言い方を変えれば、満州国は可視化された部分では麗句を並べ立てているのだが、不可視の部分で、例えば「二キ三スケ(東條英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)」らにより、自在に振り回されていたのであった(編注:星野直樹は満州国国務院総務長官として辣腕を振るった官僚、鮎川義介は日産コンツェルン創始者で、満州重工業開発会社総裁を務めた実業家として知られる)。彼らに振り回された満州国は、結果的に日本によって植民地化されていったということでもあった。なかにしさんは、こういう人脈によって作られた「偽満州国」が、結果的に反国民的な国家になったのを激しく怒っていたのである。

   こういう国家が崩壊した時に、どういう状態になるか、それは敗戦時の満州での居留民が置かれた様子を見ればわかるのである。軍人やその家族が、居留民を置き去りにして逃げた形になって日本に戻った。民間側で入植した人たちはいずれも悲惨な運命に出会っている。なかにしさんも日本への引き揚げにどれほどの辛苦を舐めたかは、すでに自伝風の作品にも書いている。つまり軍事国家は、いかに国民を裏切るかが明らかになる。

   なかにしさんのこの告発にも似た作品(例えば『赤い月』などがそうなのだが)が、歴史的意味を持って残るのはそのためである。

   前述の3条件のうちの2番目になるのだが、自分の人生に責任を持て、というのはむろん当たり前のことではあるが、なかにしさんは自らががんになった時は徹底してその病の原因、治療法について研究して信頼する医師と出会い、その助言で闘病生活を続けた。自分の人生は自分が責任を持つとのその考えに、私は納得した。3番目の、歴史を見つめる目は冷静に、というのは、作詞家として数多くの名作を残してきた立場からのもので、その著(『歌謡曲から「昭和」を読む』)の中に、軍歌について触れ、たしかに大半は名曲であると言った上で、「軍歌は人を煽り、洗脳し、教育する時には大変な効果を発揮するものなのだ。だから軍歌は、いい歌であればあるほど名曲であればあるほど罪深い」と書いている。それを忘れてはいけないというのである。この冷静さこそ、なかにしさんの遺言ではないだろうか。

   なかにしさんの口ぶりは、確かに冷静だったが、しかしその怒りを私たちは忘れてはいけないと思う。

(<特別編>(4)に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮文庫)、『陰謀の日本近現代史』 (朝日新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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