2022年 9月 29日 (木)

宮脇咲良の運命を変えたGoogle+投稿 「家族ぐるみで一生懸命だった」ラジオで語った舞台裏

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   日韓合同ユニットIZ*ONE(アイズワン)の2年半にわたる活動を経てHKT48に復帰した宮脇咲良さん(23)は、2021年6月19日に開かれる卒業コンサートでHKT48メンバーとしての活動を終える。

   会場の福岡マリンメッセA館(福岡市博多区)の最大収容人数は1万1000~1万3000人。コロナ禍の影響で実際の収容人数はその半分程度になるとみられるが、会場の規模としては、指原莉乃さん(28=19年卒業)のようにAKB48から移籍した人を除くHKT48生え抜きメンバーの卒業コンサートとしては最大規模だ。ただ、宮脇さんのデビュー直後の序列は「HKT48で最初は4~5番手で、いいときは3番手」。そこからいかにして「出世街道」を駆け抜けたのか。宮脇さんのラジオ番組の発言をもとに、「総選挙」「ぐぐたす」の、2つのキーワードから読み解いた。

  • HKT48を卒業する宮脇咲良さんは「総選挙」と「ぐぐたす」で知名度を上げた。写真は卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVの一場面。西鉄バスに乗って福岡の街を眺めている(c)Mercury
    HKT48を卒業する宮脇咲良さんは「総選挙」と「ぐぐたす」で知名度を上げた。写真は卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVの一場面。西鉄バスに乗って福岡の街を眺めている(c)Mercury
  • 宮脇咲良さんの卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVには、PayPayドームなど、ゆかりの場所が多数登場する(c)Mercury
    宮脇咲良さんの卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVには、PayPayドームなど、ゆかりの場所が多数登場する(c)Mercury
  • HKT48を卒業する宮脇咲良さんは「総選挙」と「ぐぐたす」で知名度を上げた。写真は卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVの一場面。西鉄バスに乗って福岡の街を眺めている(c)Mercury
  • 宮脇咲良さんの卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」のMVには、PayPayドームなど、ゆかりの場所が多数登場する(c)Mercury

「ゴリ推しメンバーやん!」って思われると思うんですけど...

   毎週水曜日深夜(木曜日未明)放送の宮脇さんのラジオ番組「今夜、咲良の木の下で」(bayfm)では、10年間にわたるアイドル生活を振り返る内容が3週連続で放送された。

   6月9日深夜(10日未明)の放送で語られたのが、09年から18年にかけて開催された「選抜総選挙」の意義だ。宮脇さんは11年に1期生としてHKT48に加入し、しばらくは「HKT48で最初は4~5番手で、いいときは3番手」だった。そんな中で5~6人のバラエティー番組で出演メンバーに選ばれなかったことが「すっごいショック」で「こうやって仕事がある人とない人、どんどん差がついていくんだな」と思い知られたこともあったという。

   転機となったのが選抜総選挙で、宮脇さんは12年の開票イベントで47位にランクイン。指原さんはHKT48に移籍する前のAKB48メンバーとして4位にランクインしており、HKT48からのランクインは宮脇さんだけだった。

   宮脇さんによると、この47位を機にグループ内での序列が「まぁ3番手ぐらい」に上がり、AKB48のシングル曲「UZA」(12年10月発売)の選抜メンバーにも選ばれた。

   宮脇さんは次のように話し、総選挙で支持されたことが「推される」ことにつながったことを力説した。

「私は本当に、総選挙がなかったら今の私はないな、ってぐらい、皆さんの押し上げで上がれたな、って思っています。『希望的リフレイン』(編注:14年11月発売のAKB48のシングル。渡辺麻友さんとのダブルセンターに抜擢された)とかから知っている方からしたら、『いやいや、最初から推されてたやん、ゴリ推しメンバーやん!』って思われると思うんですけど...。途中からは正直推されてたと思うんですけど、初期の頃は、そんなに、実は推されてなかったんですよね」

   宮脇さんは総選挙で、13年以降も26位→11位→7位→6位→4位と毎年順位を上げ。最後の出馬と位置づけていた18年は3位にランクイン。18年冬からIZ*ONEの活動が本格化し、AKB48グループの活動から離れた。

秋元康氏「泣きました。もっと頑張ろうと思いました」

   宮脇さんの12年の総選挙ランクインの理由のひとつが「ぐぐたす」で知名度が上がったことだ。19年まで運営されていたSNS、Google+(グーグルプラス)のことだ。AKB48グループは11年12月にGoogle+の利用に乗り出し、グループメンバーがアカウントを持って情報発信することになった。今でこそメンバーは多様なSNSで発信しているが、当時は個人として情報発信できる貴重な手段だった。

   宮脇さんは趣向を凝らした「ぐぐたす」の投稿も多かった。例えば12年2月には「咲良と行くっ!!ぐぐたす鹿児島妄想ツアー♪」と銘打って、ガイドを演じながらツアー形式で出身地の鹿児島の名所をPR。独自の動画を投稿することも多かった。

   特に反響が大きかったのが、12年3月28日付の書き込みだ。宮城県名取市での被災地訪問で、津波で犠牲になった同い年のファンのために仮設住宅で線香をあげた際、母親が

「ずーっとずーっとAKB、AKBってうるさくてねー下敷きとかグッズを集めてねー。まぁ、全部流されてしまったけどね!」

などと話すのを泣きながら聞いたことを綴った。これを読んだ総合プロデューサーの秋元康氏は、

「泣きました。もっと頑張ろうと思いました」

という一文とともに拡散した。これが選抜総選挙の2か月前で、当時14歳で無名だった宮脇さんの運命を変えた。

   HKT48では、最初は「部屋っ子」と呼ばれる共用アカウントから利用が始まり、後にメンバー個人名義のアカウントで発信できるようになった。

   「今夜、咲良の木の下で」6月16日深夜(17日未明)の放送によると、宮脇さんは個人アカウントが開設されたのを機に「めっちゃ頑張るようになりました」。当時の力の入れようを次のように振り返った。

「『ぐぐたす』を頑張ったらファンの皆さんに少しでも自分を知ってもらえると思って、まじで、『ぐぐたす』のことしか考えてなかったです。超・頑張ってました、ほんとに」

   さらに「家族ぐるみで頑張ってました」とも。両親が「こういう『ぐぐたす』投稿したら、みんなが見てくれるんじゃないか」と提案したり、動画撮影に必要なものを買ってきてくれたりもしたという。

   「ぐぐたす」をめぐるエピソードは、リスナーからのメールに応える形で明かされた。ぐぐたすを知るファンは「古参」ともいえ、宮脇さんは感慨深げに思い出話を続けていた。

「ぐぐたすの更新を10時か9時ぐらいにしてたんですけども、それができないと、お母さんに、めっちゃ怒られて...、もう、毎回泣いてました。怒られすぎて。それぐらい、本当になんかもう、家族ぐるみで一生懸命だったなーって思います。懐かしいなー。そんな時から応援してくださってるんだ」

卒業ソングMV、HKT48劇場の扉を開けた先には...?

   宮脇さんはこれまでのアイドル活動についての発言は多い半面、今後の活動については明らかにしていない。そのヒントになりそうなのが、宮脇さんの卒業ソング「思い出にするにはまだ早すぎる」だ。6月14日に公表されたミュージックビデオ(MV)の短縮版(Short Ver.)では、

「僕が何でこんな急な別れを選んだのか...ああ 話さなきゃと思う」
「二つに分かれてる道は遠い未来の気がした」

といった、卒業を示唆する歌詞が続く。

   MVは宮脇さんが西鉄バスに乗って福岡の街を眺め、那珂川通りや福博であい橋、PayPayドームといった福岡市内の有名スポットを歩くシーンや、これまでのグループ活動の回想シーン、同期の1期生との歌唱シーンなどで構成。HKT48の本拠地、西日本シティ銀行HKT48劇場の扉を宮脇さんが開けるところで動画は終わる。

   動画の長さは4分16秒で、「Short Ver.」としては異例の長さだ。動画の続き、つまり、扉を開けた先に何が見えるかは、宮脇さんの今後を示唆する内容になっているとみられる。この点が卒業コンサートで明かされるかも焦点だ。現地で鑑賞するチケットの販売は終了しているが、動画でも配信を予定している。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)

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