2024年 4月 19日 (金)

FA宣言の日「家行っていいですか?」「来い来い!」 大島康徳さんとの思い出、球界OB続々語る

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   プロ野球・中日と日本ハムで活躍し、日本ハム監督も務めた野球解説者の大島康徳さんが2021年6月30日に死去した。70歳だった。両球団が7月5日、それぞれの公式サイトで伝えた。

   大島さんの訃報には、現役時代が重なった元巨人・堀内恒夫さん(73)や元中日・山本昌さん(55)、元日本ハムの岩本勉さん(50)・片岡篤史さん(52)らが思い出を語っている。

  • 2006年のWBC日本代表で打撃コーチを務めた時の大島康徳さん(写真:アフロ)
    2006年のWBC日本代表で打撃コーチを務めた時の大島康徳さん(写真:アフロ)
  • 2006年のWBC日本代表で打撃コーチを務めた時の大島康徳さん(写真:アフロ)

山本昌「無名のルーキーの私に...」

   堀内さんは大島さんより2歳年上で、堀内さんが巨人、大島さんが中日で同じセ・リーグの投手と野手という関係だった。堀内さんは7月5日更新のブログ記事で「君のことが公になる前にドリーム・べースボールの関係者の方からちゃんと連絡をもらったよ」「ブログで語るのはもう少し後にしようかな、とも思ったけど いや、何か一言だけでも 一杯呑んでからにしよう そう思って呑んでみたけど酔いやしないよ」と大島さんの訃報への悔しさをつづっている。記事ではプロ野球OBが集まったドリーム・ベースボールでの写真を投稿し「気がつくといつも隣同士でさ」「最後に会ったのは2020年10月18日 岩手県陸前高田市で開催されたドリーム・ベースボールだった」そして最後に「大島、ありがとう。またな」と記事を締めくくった。

   中日で通算219勝を挙げた元投手の山本昌さんも大島さんの訃報が伝えられた7月5日にツイッターで「ドラゴンズの大先輩である大島康徳さんがご逝去されました。私が入団当時、主力選手として大活躍をされていました」「雲の上の存在でしたが、無名のルーキーの私によく声を掛けて頂きました。まだ70歳、これからも野球界の発展にご尽力して頂きたかった。本当に残念です。ご冥福をお祈りいたします」と追悼の気持ちを表している。1987年まで中日に在籍した大島さんと、1984年入団の山本昌さんは4年間同じチームで現役時代を過ごしていた。

岩本・片岡語る日ハム時代

   大島さんは1987年のシーズンオフにトレードで中日から日本ハムに移籍すると1994年に43歳で引退するまでプレーし、2000年から2002年までの3年間日本ハムの監督を務めた。日本ハムでの選手・監督時代のチームメイトに元投手の岩本勉さんがいる。訃報が伝えられた7月5日、岩本さんはレギュラーラジオ「岩本勉のまいどスポーツ」(文化放送)で「現役の時も、入団した時に大先輩でおられましたので、チームの中でどうやってプロ野球を学んでいくのかを教えてもらった」「大島監督の1年目と3年目、開幕を投げさせてもらってるんです。恩師の1人ですね。お悔やみ申し上げます」と弔意を表した。

   7月6日、元日本ハム・阪神の片岡さんと岩本さんは、前後編に分けてそれぞれのYouTubeチャンネルに2人の対談動画を投稿。大島さんとの日本ハム時代の思い出を語っている。

「現役の時の大島選手が監督になって戻ってこられて、おっしゃみんな行くぞー!みたいな感覚だった」「落ち込んでるところを見たことが無い」(岩本さん)
「FA宣言して『阪神に行きます』と決めた日に、いてもたってもいられなくなって大島さんに『今から家行っていいですか?』と聞いたら『おおい来い来い!』って言われて、記憶がなくなるまで飲んだ気がする。思い出話をしながら」(片岡さん)

   2人は動画にして計20分以上、大島さんの人柄をしのんでトークを繰り広げた。

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