2024年 4月 20日 (土)

外岡秀俊の「コロナ21世紀の問い」(42)政治学者、宮本太郎氏と考える福祉のこれから

   この30年の福祉改革の在り方を問う本が今年、コロナ禍のさなかに刊行された。「貧困・介護・育児の政治ベーシックアセットの福祉国家へ」(朝日新聞出版)だ。コロナ禍が浮き彫りにした福祉の脆弱さやひずみを、今後どう乗り越えるべきか。著者の宮本太郎・中央大学法学部教授(福祉政策論)と考える。

  •                   (マンガ:山井教雄)
                      (マンガ:山井教雄)
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過去30年の福祉改革と3つの政治潮流

   福祉について、制度を詳述する解説本や実務本は数多いが、その全体像をつかむことは意外に難しい。制度が余りに複雑多岐にわたるうえ、時代の変化や財政事情に応じて次々に改変されてきたからだ。

   例えていえば、次々に建て増しや改築を重ねた結果、そこで暮らすら住人すら、どこに目指す部屋があり、どんな順路をたどれば行き着けるのかもわからない、迷宮のような屋敷になっている。

   とりわけこの30年余りは、「財政」と並んで「福祉」が最優先の政治課題となったため、政権与党は次々に「改革」の手を打ってきた。だが、消費税増税の大義として打ち出された当初の政策理念はすぐに色あせ、財政当局の要求で支出は削減され、後退していった。この国に「社会民主主義」は根づかず、「新自由主義」に道を譲ったのか。あるいはそもそも、製造業が空洞化し、少子高齢化が進むこの国で、「社会民主主義」を唱えること自体、見果てぬ夢だったのか。

   だが、この30年余りの福祉改革の是非を、一刀両断に論じることはできない。改革の理念はどこにあり、さまざまな政治力学が働いた結果、どこまで理念を達成し、どこに限界があったのか。「福祉政治」の第一人者で、歴代政権にも積極的に提言してきたのが、この本の著者、宮本太郎さんだ。2021年6月28日、ZOOMで宮本さんに話をうかがった。

   この30年余の「福祉改革」を総括するにあたって、宮本さんは次の三つの政治潮流をキーワードにして政治過程を分析する。

 (1)例外状況の社会民主主義
 (2)磁力としての新自由主義
 (3)日常的現実としての保守主義

   これは、福祉国家の在り方を決めてきた三つの基本的な立場だ。だが日本では、この立場が政党ごとに分かれるのではなく、各政党ごとに混在し、それに各省庁や関連団体の利害も絡んで、対立の構図は極めて分かりにくかった。そこで宮本さんは、三つの立場によって福祉改革の結果を評価するのではなく。それぞれの潮流がどう影響して「貧困・介護・育児」の改革が実現したのかを、実証的に分析する手法を取った。つまりこの三つの概念を使って、福祉改革を動態的に解明したといえるだろう。

   その成果を、あえて単純化して要約すれば、この30年余りの「福祉改革」には、次のようなパターンが読み取れる。

(1)例外状況の社会民主主義

   日本では、政権交代など政治的な例外状況において、社会民主主義的な福祉の強化政策が受け容れられる。

   介護保険制度が実現したのは、1993年に非自民連立政権ができ、その後自・社・さきがけの連立政権に移行する流動的な状況下だった。

   育児の分野で子ども・子育て新支援制度が、貧困分野で生活困窮者自立支援制度が生み出されたのも、2009~12年にかけ、民主党と自民党の政権交代が繰り返される流動的な状況下だった。

   社会民主主義的な政策が実現したのは、財務省が少なくとも新制度の導入に反対しなかったためだ。介護保険導入時には、消費税を3%から5%に、子ども・子育て支援新制度の導入時には消費税をさらに10%に増税する時期に当たっていた。つまり財務省には、こうした福祉改革を増税の切り札にしようという思惑があり、その限りにおいて政権や厚生労働省と折り合い、提携することになった。その意味で日本における「例外状況の社会民主主義」は、政党政治が流動化する過程で、財務省と厚労省が連携して取り組む改革案ということができる。

(2)磁力としての新自由主義

   いったん制度が導入され、政治が相対的に安定すると、財政当局は支出抑制に舵を切り、新自由主義的な圧力が復調する。これは、市場原理を絶対視する「新自由主義者」が席捲するという意味ではない。表向きは「新自由主義」をうたわなくても、制度の運用にあたって、鉄粉が磁石に引き寄せられるように、新自由主義的な方向をたどってしまう、ということだ。この「磁力」の源泉は「新自由主義」というイデオロギーではなく、「少子高齢化のなかで累積する国と地方の長期債務」「社会保障制度と税制へ有権者の不信・高負担感」などにある、と著者はいう。こうした要因が重なると、新自由主義の信奉者でなくても、そのように振る舞わざるを得ないような磁力が働く。つまり、財政その他の懐事情や制度への不信などが相まって、当初の制度設計を弱める方向に圧力がかかり、理念が後退する過程といってもいいだろう。

(3)日常的現実としての保守主義

   こうしてコスト削減への圧力が働くと、自助と家族の助け合いで困難を切り抜けるしかない、という保守主義が顔をのぞかせる。これも、イデオロギーというよりは、新たな制度ができても、十分な給付を得ることができないため、最後は自助か家族に頼るしかない、という「日常的現実」としての保守主義だ。

   介護制度ができても、学業を犠牲にして介護を担う「ヤングケアラー」や「老老介護」さらには認知症同士が介護の当事者になる「認認介護」などが、こうした「日常的な現実」の例だ。著者はさらに、2015年に子ども・子育て支援新制度が実施になったにもかかわらず、翌年には「保育園落ちた日本死ね」というブログが国会で取り上げられ、流行語になったことも、「日常としての保守主義」への回帰の例としてあげる。

   こうして自助頼み、家族依存が日常化すると、税や福祉制度への不信が募り、さらに「磁力としての新自由主義」の潮流を強める負のサイクルが始まり、「社会民主主義」の理念は一層薄れていくことになる。

   なぜこうした三つの潮流で、近年の福祉改革を解明しようとなさったのか。宮本さんへのインタビューはその動機を尋ねることから始まった。

「一杯のかけそば」と「日本型生活保障」の揺らぎ

「日本における社会保障の現状については、右からであれ左からであれ、捨てゼリフにも近い批判や不満が寄せられている。コロナ禍による不安もあって、SNSなどによる非難の応酬はますます強まった。しかし、ただ現状を絶望的に描き出すだけでは、新たな展望にはつながらない。この30年間の福祉改革は、ある程度は福祉を前進させてきた面もあるし、もちろん、ビジョンが後退したり、限界にぶつかった面もある。それを、『新自由主義』によって、すべて切り捨てられた』と悲観するのではなく、実証的に振り返り、これから建て直す福祉制度の礎がどこにあるのかを提示したいと考えた。どのような勢力が、どこまでビジョンを実現したのかを探り、これまでの蓄積をよみがえらせ活かしながら、新たな展望を示したかったのがこの本です」

   宮本さんはここで、丸山真男がかつて書いた「大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄」に賭ける」という言葉を引用した。福祉改革の「虚妄」を指摘して、その欠陥をあげつらうことに安住するのではなく、その改革がどこまで進み、どこで後退したのかを冷静に見極め、議論の出発点にしよう、という決意といえる。

   だが、そもそもなぜ、日本の福祉は90年代に入って、焦眉の政治課題として浮上したのだろう。戦後の長きにわたって日本社会を支えた仕組みの根幹が揺らいだためだ。

   本書の冒頭には、印象的なエピソード「一杯のかけそば」が掲げられている。

   話はこうだ。

   ある大みそか、2人の幼い男の子を連れた母親が、閉店間近い札幌のそば屋を訪れた。母親は申し訳なさそうに一杯のかけそばを頼み、3人で分けて食べる。

   その後も毎年、大みそかになると子連れで訪れる母親は、事故を起こして死んだ夫に代わり、賠償金を払い続けているらしいとわかる。

   歳月が過ぎ、医師と銀行員になった息子たちは母を連れ、「最高のぜいたくをしに来ました」といって三杯のかけそばを注文する。

   ここまで書けば、当時この話を聞いて、もらい泣きをしたことを思い出す人もいるだろう。1989年、この物語はブームを呼び、当時の野党議員が国会質問で全文を読み上げたことで全国に知られた。

   だが福祉に詳しい著者は、当時の制度を検証し、これが実話かどうか、極めて疑わしいという。子どもたちが幼かった当時の福祉制度で、最も支援が行き届かなかったのは一人親世帯だったからだ。そうした制度的な問題を差しおいて、苦境を「自助」で乗り越えるという美談が広がった。

   この本が「一杯のかけそば」から始まるのには理由がある。この美談が広がったのはバブルが弾ける寸前で、戦後を支えた「日本型生活保障」が揺らいだ年だ。それまでの制度をいかに「自助」信仰が支えてきたか、その制度が揺らぎ始めたときに改めてその信仰が打ち出されたのがこの物語だった。それから30年経っても総理大臣が「自助」を基本にした国づくりを謳っているのだが。

   「生活保障」とは、雇用と社会保障を合わせた言葉だ。戦後日本では、「男性稼ぎ主の雇用保障に力を入れ、家族の扶養を確保する」という点に特徴があった。行政と企業は「男性稼ぎ主」の雇用を守り、大企業は家族の生活コストも賃金の一部として支払い、政府は所得控除でコストを還元する。

   著者が言う行政・会社・家族がつながる「三重構造」だ。

   加えて日本は1961年に皆保険・皆年金を導入し、男性稼ぎ主の退職後や病気になった時に生じる不備を補った。

   この仕組みはバブル崩壊後、大きく揺らいだ。雇用は不安定になり非正規が急増した。

   少子高齢化で家族の標準モデルは崩れ、共稼ぎが増え、育児や介護を家族のみに委ねることはできなくなった。日本型生活保障ではカバーできない新たなリスクが生まれた。

   これは安定雇用にも就けず、しかも従来の福祉制度からも弾かれる「新しい生活困難層」の増大を招いた。働けるが保険料を支払えず、さりとて福祉の恩恵も受けられない。「働いても生活が成り立たない」困窮層の急増である。

   90年代は、そうした新たなリスクを抱えた生活困難層に、福祉がどう対応するかを迫られた時代だった。だからこそ、「福祉改革」が緊急の政治課題になったのである。

   今にして思えば、従来型の福祉制度の限界は、バブル崩壊という経済ショックのみによってもたらされたわけではない。

   その背後には、漸進的に進行していた人口動態の変化、とりわけ少子高齢化と人口減少があり、バブル崩壊によってその矛盾が一挙に顕在化したともいえる。さらにそのころから同時並行的に進んだ労働力の非正規化や共働き世帯の増加、結婚の高齢化、未婚化などの社会の変化が、相乗的に日本社会の安定を揺さぶることになった。

「日本型福祉国家」ができるまで

   政治がこの難題にどう立ち向かったのかを見る前に、従来の日本型福祉国家の成り立ちを振り返ろう。その経緯を見れば、福祉について日本政治がどう合意形成するか、固有のパターンが明らかになるからだ。宮本さんは言う。

「戦後の55年体制のもとで、自民党に対する野党勢力の主流は西欧流の社会民主主義ではなく、マルクス主義でした。彼らの態度は基本的に、『福祉国家は資本主義の延命策』というものです。だから与野党の対立軸は、『社会民主主義』を採用するかどうか、という政策論争にはならなかった。基本的に、体制転換を目指す野党からの圧力によって政権与党が福祉政策を採用せざるを得ない、という状況が続き、『日本型福祉国家』が形づくられた」

   その典型例は国民皆年金・皆医療保険、最低賃金の制度を実現した岸信介政権(57~60年)だ。岸はのちに回顧録で「民生安定の手段として社会保障政策を志向することは、政治家としては当然やるべきことであって、私としては別に気負ったわけではなかった」というが、これも当時の社会党など野党勢力からのプレッシャー抜きには理解できない。その後の池田勇人政権(1960~64年)が「所得倍増計画」を打ち出したのも、自民党自らが率先して政策を掲げたというよりは、野党を初めとする外からの圧力に応じたという面が強い。

   さらに田中角栄政権(1972~74年)は1973年を「福祉元年」と位置づけ、70歳以上の高齢者の医療無料化や年金拡充を打ち出した。ただこれも、68年に飛鳥田一雄・横浜市長が80歳以上の医療保険の負担を引き下げ、69年の美濃部亮吉・都知事が70歳以上の医療無料化を行うなど、革新自治体からの圧力抜きには考えられない。72年暮れの総選挙では、共産党が24議席を増やすなど、足元に火がついた結果ともいえる。

「田中政権は、地方から人が流出するのを避けようと、いくつかの施策を打ち出した。まず、地元でも暮らせるよう、地方に公共工事を回した。農業をしながら冬場も土建業を営む第2種兼業農家が増え、地方で暮らせるようになった。大規模小売店舗法で、中小小売店を保護した。さらに、1972年には車両法を改正し、軽乗用車にも車検を拡充した。全国9万の整備業の収入の4割は車検。これで、地域でも暮らせる人々が増えました」

   宮本さんによると、野党の主流がマルクス主義の流れを汲む日本では、西欧型の「社会民主主義」の基本形である福祉国家の「所得の再分配」は深く根づくことがなかった。代わって、日本の自民党は、野党からの圧力に対し、「雇用の再分配」で社会の安定を図り、福祉の要請にこたえようとした。

   これが、先に触れた「日本型福祉国家」、つまり、男性稼ぎ主の雇用を守りつつ、企業は賃金の一部として家族のコストを支払い、政府が課税控除で世帯を支えるという特殊日本的な生活保障だった。男性稼ぎ主が病気になった場合は医療保険、定年で退職後は年金で家族を支えるという補完システムはそれなりに機能し、比較的安定した社会が作られた。こうして、先進国の中では唯一、女性の就業率が低下するという男性ジェンダー優位システムが構築された。

「これは、だれかが設計図を描いたというより、政治の力の平行四辺形のなかで、自然に形づくられた日本的システムといえるでしょう」

限界を迎えた日本型福祉

   だがこうした「雇用を配る」ことを基本とした日本型福祉のシステムは、間もなく壁にぶつかる。早くも1980年代には第二次臨時調査会(第二臨調)では福祉国家批判を背に政府支出の縮小が本格的に打ち出された。中曽根康弘政権(1982~87年)は、個人の自立や自助を強調して国民負担率の抑制など新自由主義的な政策を前面に打ち出した。生活保護の給付抑制や生活扶助基準の見直しが進められたのもこの時期だ。

   しかし、宮本さんの著書によると、こうした新自由主義的な潮流に対し、それとは異なる福祉理念を刷新する動きが、当時の厚生省や研究者、福祉団体などから生まれた。これが1986年の社会福祉基本構想懇談会による「社会福祉改革の基本構想」や、1995年の社会保障制度審議会「社会保障体制の再構築(勧告)」などの構想にまとめられていく。

   これは、新自由主義的な道を目指すのではなく、従来の福祉体制への回帰を求めるのでもなく、新たにビジョンを刷新し、時代の激動に見合った道を模索するという構想だった。

   その刷新の第一は、従来の「救貧的・防貧的な社会福祉」から、「普遍的・一般的な社会福祉」へ転換し、福祉の対象を広げる方向性だった。これは北欧型福祉にもつながる理念の刷新を意味する。

   第二の方向性は、それまでの措置制度を見直し、公的部門と並んで民間部門を活用し、利用者によるサービス選択を可能にする制度への移行を目指した。これは公的財源を基に「準市場型制度」を導入することを意味した。

   そして第三は、一部の人々の救済や保護ではなく、多くの人々の連帯と自立(自律)を支援するという考え方だ。

「福祉刷新論」の成果

   宮本さんは、こうした「福祉刷新論」が、1993年の非自民連立政権誕生から、1994年の自社さ政権成立という、二政権にわたる「例外状況」において、「介護保険制度」として結実したという。

   これは社会保障の給付が行政の職務権限によって行われる従来の「措置制度」から、利用者の権利としてサービスの給付を受ける福祉制度への転換という意味では、画期的だった。介護保険も半分は国と地方からの税財源で支えられるが、利用者は保険料納付の実績を基に、サービスを権利として自治体に申請できる。しかもこの制度のもとで利用者は、ケアマネジャーを選んで最適なケアプランを作成してもらい、営利企業、非営利組織などを含む多元的な事業者にサービスの給付を求めるという独自の方式を導入した。

   もちろん、こうしたビジョンが、その後も順調に定着したわけではない。少子高齢化とグローバル化が進んだ21世紀に入り、小泉純一郎政権(2001~06年)は構造改革と支出抑制に舵を切り、05年以降の介護保険改革では施設居住費と食費が外され、介護予防や地域包括ケアという考えが重視されていく。もちろん、いずれも「普遍主義的な福祉」の実現に向けた重要な考え方だが、問題はこうした方針転換が、支出抑制の口実に使われたことだ。介護予防サービスは多様化する一方、自治体によっては同居家族がいる場合には生活援助を受けられないなど、介護利用が制限される傾向が強まった。

   また「地域包括ケア」も、それ自体としては意義のある考えだが、本来その実現を目指すのであれば、より大きなコストを必要とするのに、実際は「地域包括ケアシステム」を通して、要介護認定率を引き下げ、介護保険料を抑制することが奨励された。つまり、ビジョンとしては正しい方向が打ち出されたにもかかわらず、財政基盤の縮小に応じて、「磁力としての新自由主義」が次第に影響力を強め、制度を変質させてしまう。

   こうしたビジョンの変質は、民主党と自民党の相次ぐ政権交代後に導入された「子ども・子育て支援新制度」や、「生活困窮者自立支援制度」でも同様だった。ビジョンそのものは価値があるのに、それが消費税増税の「切り札」として使われ、導入後は次第に支出抑制で制度が縮小するか、サービスが切り下げられてしまう。

避けるべきバッシング

   だが、だからといって、福祉改革が「新自由主義」にすべて骨抜きにされたとか、掲げたビジョンが羊頭狗肉だったと切って捨てるのでは、議論は堂々巡りに終わる。多元的な福祉刷新というビジョンを妨げるものは何か、どうすればその障害を除去できるのか、一つ一つ躓きの石を取り除くしかない、というのが宮本さんの立場だと思う。

   そうした意味では、福祉制度への私たちの不信感や、税金・保険料の高負担感が、他の受給者へのバッシングにつながり、さらにそれが「磁力としての新自由主義」や「日常的現実としての保守主義」という「負の連鎖」を強めることは、避けなければならないだろう。宮本さんはこういう。

「この30年の福祉改革の間に不満が高まったのは、所得税や消費税を負担しながら、その恩恵を受けられない人たちです。日本の場合、120兆円の社会保障費を支えるのは4割が税金、6割が社会保険料。ところが支出の9割は国民医療保険や国民年金など社会保険に充てられる。しかし、就職氷河期の世代やひとり親世帯など、年金保険料を払えない人や、非正規雇用で社会保険に加入できない人が数多くいます。この人たちは税負担はしているのに、税支出の大半が社会保険財源の補填に使われているために、税の恩恵にも与れないわけです。その一方で、生活保護の受給資格も厳しく制限され、これまでの福祉制度の対象から外れてしまう。それが、重税感や、福祉への不信となって、政治にはねかえってしまう。生活保護への不信をあおる政治も横行しがちですが、生活保護を受給する人をバッシングするのでは、福祉の貧困化に拍車を駆けることにしかなりません」

   宮本さんはさらに、ライフサイクルにおけるリスクは、従来のような、病気やケガといった単発型に留まらない。少子高齢化に伴い、リスクもまた多様化していると指摘する。

「たとえば、一口に年収200万円後半の世帯といっても、リスクは人さまざまです。生活保護はもちろん受けられず、介護が必要な老親の面倒を見たり、軽度の発達障害の子を抱えたりしている世帯は、十分な支援を受けられず、生活保護以下に暮らしを切り詰めるしかない。コロナ禍で真っ先に追い詰められるのは、そうした人々なんです。明石市の泉市長は、多様で複合的な困難を抱えた世帯を新たな「標準世帯」と呼んでいますが、おおげさではありません。見出すべき方向性は、福祉の切り下げ競争ではなく、誰にとってもリスクが多様化し複合化していることを見つめ、そのリスクに対し、私たちが連帯してどう乗り越えるかを考えることではないでしょうか」

「社会民主主義」の限界

   戦後の日本には、西洋型の「社会民主主義」を標榜する政党がなかったことは前に触れた。では、グローバル化の時代に、西洋型の「社会民主主義」は手本になるのだろうか。

   宮本さんは、かつての「社会民主主義」もまた、行き詰まりを見せている、という。

   宮本さんによると、西洋の「社会民主主義」には、大きく分けて二つの類型がある。

   一つは、英米を中心とする「アングロ・サクソン」型だ。米民主党改革派のビル・クリントンは、1992年、「おなじみの福祉は終わらせる」というスローガンを掲げて政権の座に就いた。ここにいう「おなじみの福祉」とは、長い間アメリカの福祉の主柱だったひとり親世帯への生活保護を指す。クリントンはこの「要扶養児童家庭扶助」(AFDC)を抜本的に改革した。給付期間を限定する一方、職業訓練や保育サービスを手厚くし、それでも就労が難しい場合には、自治体が雇用の機会を提供するという仕組みに改めた。「福祉依存から就労へ」軸足を移す改革だ。

   英国でも労働党のトニー・ブレアが「ニュー・レイバー」の看板を掲げて1997年の総選挙で圧勝し、10年に及ぶ長期政権を率いた。彼はいわゆる「第三の道」路線を採用した。これは社会学者のアンソニー・ギデンスが唱えた福祉の改革案だ。安定した雇用や家庭を前提とした従来型の福祉国家は、雇用の流動化や、一人親世帯の増大などの新たなリスクに対応できない。そこで、職業訓練などの支援型サービスを「社会的投資」と位置づけ、社会を活性化するという考えだった。

   ブレア政権は教育改革にも力を入れ、低所得世帯の子どもを支援し、若者の就労を促した。こうした流れを一口にいえば、福祉受給者を含めて人々が仕事に就き、人的資本として機能することを目指したものであった。教育や職業訓練による支援も掲げられたが最小限で、グローバル化を推し進めるアングロ・サクソン型の「新自由主義」に近かった。

   二つめの類型は、スウェーデンに代表される北欧型の社会民主主義だ。「第三の道」が貧困が広がったあとに保護をする「事後的補償」を柱とするのに対し、北欧型は「事前的予防」に力を入れる。これは就学の前からどのような経済状況であっても子どもに教育の質を保障し、その後も成人教育や職業訓練などを通して、継ぎ目なく学び直しの「生涯教育」の機会を提供するシステムだ。

   スウェーデンは、こうした生涯教育を労働政策に連動させ、「同一労働同一賃金」の原則を守りつつ、生産性の低い企業から、高い企業へと働き手を誘導する仕組みを築いた。

   福祉によって学び直しの機会を与えつつ、より成長する産業に人材を投入する路線だ。

   だがこうした二つの「社会民主主義」モデルは、日本にはそのまま持ち込めないだろう、と宮本さんは言う。「第三の道」は、グローバル化を推し進める「新自由主義」と表裏一体だし、日本のように「新しい生活困難層」が広がった社会では、北欧型の制度もそのままでは適合しない。明日の生活費にも事欠く人々に、「生涯教育」を保障しても、すぐには支えにならないからだ。

   さらに、ある程度は荒波をくぐって持ちこたえてきた二つの「社会民主主義」も、限界に近づきつつある、と宮本さんは言う。グローバル化によって貧富の格差はいよいよ大きくなり、経済のIT化や産業構造の転換が急速に進んだため、「社会的投資」が追い付かなくなってしまったためだ。つまり、「社会民主主義」そのものを再設計するしかない、というのが西洋の現状なのだという。

「ベーシックインカム」論の問題点

   そこで近年注目を集めるようになったのが「ベーシックインカム」論だ。

   これは、所得調査をしたり、就労を求めたりすることなく、無条件に、すべての個人に定期的に現金給付をする仕組みを指す。つまり、「福祉から就労へ」と誘導する「社会的投資」とは対照的に、就労や所得の条件とは切り離して一定の現金給付をするという考え方だ。多くの論者は、生活保護や様々な手当、年金などをこれに一本化するという。福祉に関わる膨大な行政コストを削って給付に回せば、より合理的だ、という考えだ。

   だがこれには、既存の福祉制度を解体して一本化するという「新自由主義」的な立場もあれば、累進課税で財源を調達して再分配を図るという「社会民主主義」的な立場もあり、同一に論じることはできない。そもそも、人の暮らしを、国のある一つの制度にそこまで委ねてもいいのか、それで安全なのかという疑問もある。

   これとは別に、「ベーシックサービス」という考え方もある。ロンドン大の社会政策学者アンナ・コートらが提唱した考えだ。

   これは、「すべての人が、負担能力のいかんにかかわらず、ニーズに応じた基本的で十分なサービスを受けられる」ことを目指す考えだ。ここに言う「サービス」とは、医療、教育、ケア、住宅、輸送、デジタルアクセスなどの「公共サービス」を指す。

   だがこの議論にしても、一人ひとり異なる多様なニーズの中から、どのニーズを「普遍的」なニーズとして切り出せるのか、具体論になると極めてあいまいだ。ビジョンとしては総論賛成でも、具体的な施策に落とし込むには議論が百出しそうなアイデアだろう。

「ベーシックアセット」の福祉国家

   こうした議論を踏まえて宮本さんが注目するのは「ベーシックアセット」というビジョンだ。「アセット」とは「ひとかたまりの有益な資源」を意味し、現金給付も公共サービスも含む。もともとはカリフォルニア州バロアルトの「未來研究所(IFTF)」や、フィンランドのシンクタンク「デモス・ヘルシンキ」などが提唱した考えだ。

   「ベーシックインカム」は現金給付、「ベーシックサービス」は国と自治体の公共アセットをすべての市民に行き渡らせることを目指す。これに対し「ベーシックアセット」は、私的・公共的なアセットに加え、「コモンズ」をその重要な資源として挙げる。

   「コモンズ」とは、コミュニティや自然環境、デジタルネットワークなど、誰もが必要とする社会共通の資産のことだ。もちろん現実には、個人や企業が占有する場合もあるが、本来であれば、誰に対しても開かれているべき社会の基本財だ。

   こうした人類共通の「コモンズ」を個人や企業が占有し、独占して利益を享受している場合には、たとえば「デジタル税」や「環境税」を課して、それを社会保障財源に充てる、という考え方も出てくる。「コモンズ」といえば一見抽象的に思えるが、実は極めて現実的なアプローチだと宮本さんは指摘する。

「とくにコミュニティというコモンズは、哲学者ジョン・ロールズが人間にとって最も大事な財とした『自尊の社会的基盤』、つまり私たちが自己肯定感を高めていく条件です。これをベーシックアセットにしていくということについては、視点の転換も必要です」

   日本では地域の伝統的共同体は、官僚制によって動員され、しばしば人々を囲い込み、拘束してきた。そのようなアセットは誰も要らないだろう。これに対して、ベーシックアセットとしてのコミュニティについては、人々がそこに属することを自ら選択し、場合によっては出て行くことも可能でなければならない。

   人々は、必要な現金給付と公共サービスを保障されることで、コミュニティとよい関係を築ける。家族コミュニティであれ、職場コミュニティであれ、地域コミュニティであれ、そこからしか生活の資を得ることができなければ、従属するしかなくなる。だめなら出て行ける(離婚できる、離職できる)ことや、家族であれば育児や介護の公共サービスが利用できることで、コミュニティはいきいきとして、アセットと呼ぶのにふさわしくなる。そのような観点から、誰にでも共通の尺度を当てはめるのではなく、個人や地域に応じたアセットの組み合わせが構想されるべきなのだ。

   こうして、これからの福祉のビジョン考えるうえで「ベーシックアセット」に着目する宮本さんは、「このようにベーシックアセットは、決して現実離れしたビジョンではありません。そして実は日本には、こうしたビジョンを根拠づける法規範もあります」という。それは日本国憲法第25条なのだという。

健康で文化的な最低限度の生活

   憲法第25条には、次のような文言がかかれている。

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

   もちろん、「健康で文化的な最低限度の生活」は時代によって、国の財政力によって、意味するものは異なるだろう。「健康」という言葉も、感染症対策はもちろん自然環境を保全し集中豪雨など気候変動を抑えるなど、激変する時代環境に応じて意味するものは変わっていく。「文化的」という言葉も、今ならITへのアクセスが当然含まれるに違いない。つまり、コモンズを開いていく、ということだ。

   だがそうしたことも含めて、この条文は、すべての人を、現金給付、公共サービスを通して、生活を成り立たせるコモンズにつないでいく宣言と読むことができる、と宮本さんはいう。

「最低限度の生活とは何なのかは人によって受け取り方が違う。憲法第13条の幸福追求権ともつなぎ、カスタマイズできてよい。これまで福祉の措置制度とつなげて解釈されがちだったこの条文を、より前向きに、コモンズを開いていくことも含めた、これから目指すべき福祉のビジョンにも射程が届くものと読み直してはどうでしょうか」

   コロナ禍のさなかに、欧米各国や日本では一律に現金を給付して急場をしのいだ。これを、「ベーシックインカムが現実化した」とみなす論者もいた。だが、そうした一過性の現象を議論の前提にしてはならないだろう。

   コロナ禍は、宮本さんがいう「新しい生活困難層」に、より多くの苦難を強いている。これまで福祉の恩恵を受けられなかったうえに、ぎりぎりの生活を支えてきた雇用までが流動化し、不安定なものになっている。まさにこうした時にこそ、「福祉」の出番といえる。これまで30年の「福祉改革」の成果と限界を踏まえ、今こそコロナ後を見据えた「福祉」を再構築する時だろう。宮本さんの話をうかがって、強くそう思った。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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