2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(44) タリバン政権のアフガンは再び震源地になるのか

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謎の最高指導者の素顔

   米国のジャーナリスト、ボブ・ウッドワードの著書「ブッシュの戦争」(日本経済新聞)は、当時のブッシュ大統領ら政権中枢への取材をもとに、9・11同時多発テロからアフガン戦争に至る内幕を詳細に記したドキュメンタリーだ。米軍は2001年10月に空爆を始め11月にはカブールを陥落させた。この本には、その2か月の間にCIA要員らが膨大な現金を運び込み、地方の族長らを次々と寝返らせる場面が描かれている。ドミノ倒しのようにタリバン支配が覆った陰には、タリバン統治の一翼を担う武装グループが、情勢次第では勝ち馬に乗ることを示唆するエピソードとも読める。

   私自身、08年にアフガンを訪れた際、地元の人々から、「首都を一歩外に出れば、日中はアフガン政府の警察官をしている男が、夜には反政府武装勢力タリバンになる」という話を聞いた。実は武装集団とはいっても、タリバンは一枚岩の組織ではなく、様々な武装グループが緩やかに連合するネットワークのようなものなのではないか。その仮説は、今回もカブール陥落まで、異例の速さでタリバン支配が復活したことを裏書するのではないだろうか。

   そうした質問をぶつけると、早い時期からタリバンとの折衝に当たってきた川端さんはこう答えた。

「確かに周辺には、勝ち馬に乗ろうとする集団も集まってくる。その意味では寄せ集めかもしれない。だが、タリバンの芯に当たる部分はかなり統率がとれ、きっちりとした組織だという印象を受けた」

   タリバンの初代の最高指導者ムハンマド・オマル師は、「イスラムの教義に反する」との理由から写真などの映像がほとんど存在せず、非イスラム教徒との接触を頑なに拒んできたため、国際社会にとっては謎の人物だった。川端さんはブラヒミ特別代表と、そのオマル師に面会した数少ない1人だ。

   1998年8月、タリバンは抵抗を続ける北部のマザリシャリフを占領したが、その際に、イラン総領事館にいた8人のイラン人外交官と1人のジャーナリストを殺害した。あからさまな挑発に憤激したイラン政府は、直ちにタリバンの「懲罰」を宣言して、一触即発の緊張が生まれた。イランはアフガン国境沿いに3万人の兵力を集結し、タリバンも国境に近いヘラート、ニムルーズ両州に8千人近い兵力を展開した。国連安保理決議の要請を受けて川端さんはブラヒミ特別代表と共に和平交渉のため、パキスタンのイスラマバードに待機していた。そこへタリバン側から、オマル師が直接会ってもいいとの連絡があった。

   10月14日、川端さんらは国連機でタリバンの根拠地であるカンダハルに向かった。空港ではタリバンが待機しており、すぐに墓地に連れて行かれた。この一年の間に北部戦線で死亡したタリバンの「殉教者」が眠る墓地だとの説明がタリバンからあった。これからどうなるのか。そういぶかっていたところに、携帯無線機を通してタリバン側からのメッセージが飛び込んできた。オマル師が、直接ブラヒミ特別代表と話したいという。

   遠くを見ると、トヨタのランドクルーザーが数台、駐車しているのが見えた。窓は黒いフィルムやカーテンで覆っており、中は見えない。オマル師はそこから話しかけているという。

   会見はカンダハル州知事の公舎で行われた。長方形の会議室の長い辺の片側に、川端さん、ブラヒミ特別代表、イスラム協力機構(OIC)関係者らが、土間の床に敷かれた敷物の上に座ってタリバン側の入室を待った。お茶が配られた。川端さんがノートを広げ、記録を取る準備をしていると、通用口から入ってくる人の気配がした。

   顔をあげると、目の前に小奇麗な黒のターバンと茶色の民族衣装をまとった長身痩躯の青年が立って、通用口の近くに座っていた川端さんにそっと握手を求めてきた。登場の仕方があまりに控えめだったため、最初は誰だか分らなかった。しかし、ふさがっている右目から、この青年がタリバン最高指導者であるオマル師であることに気が付いた。

   続いてタリバン代表団数人が入って来て、オマル師を中心に、国連代表団の向こう側に一列に座った。

   ブラヒミ特別代表の正面に座ったオマル師は寡黙だった。ブラヒミ特別代表が、情勢を語る間、黙って目の前の床に置かれたザクロをスプーンでかき混ぜ、耳を傾けていた。だが、どうしたら目前に迫ったイラン側の侵攻を防ぐことができるか、交渉の目的は明確に理解していた。交渉は難航したが、オマル師は国連側の粘り強い説得により、タリバンによって拘束されているイラン人26名全員の即時解放という、衝突を避けるための最低条件を受け入れた。数時間にわたった交渉中、オマル師以外のタリバンは誰も発言せず、彼が名実ともに最高指導者であることは明らかだった。

   最後までもめたのは、イランが要求したタリバンの謝罪だった。オマル師は「責任の一端はイランの内政干渉にある」と主張して、頑なに「一方的な謝罪」を拒んだ。そこでブラヒミ特別代表は交渉をいったん中断し、再開後に最終案として「国連代表が交渉後に、間接的にタリバンの遺憾の意を表明する」とう妥協案を提示した。オマル師はしばし沈黙した後、それを受け入れた。オマル師がいいと言えば、それがタリバンの決定になる。

   イスラム原理主義とか、「神がかり」と評されることもあったが、生き残るためには何をしなくてはいけないか、指導者として明確に理解し、困難な条件を飲み込むための度量や統率力もある。川端さんは、そう直覚したという。

   川端さんが一つ気になったのは、ビンラディンをめぐるブラヒミ氏とオマル師の会話だった。その年8月にはケニア、タンザニアの米国大使館がテロ攻撃を受け、その背後にビンラディン率いる国際テロ組織アルカイダの存在が強く疑われた。ブラヒミ特別代表は「タリバン自身がテロ活動をしていると責める者はいない。問題は、ビンラディンなどタリバンの『客人』とされる者たちだ」と指摘して、米国など加盟国の懸念を伝えた。しかしオマル師はビンラディンについて、「自分自身のみならず、アフガン国民全体の客である」と言い切り、国外追放する気がないことを明言した。これに対してブラヒミ氏は、「客人というが、ビンラディンがやっていることは、招待された家の庭先から隣家に石を投げ入れているようなもので、とても客人の行いとは言えない」と食い下がった。オマル師は「彼が実際にテロに加わっている証拠はない」と釈明したうえで、「仮に証拠があったとしてもイスラム法の下で裁かれるであろう」と付け加え、米国の求めに応じて「客人」を西欧の法に委ねるつもりのないことを明確にした。

   ブラヒミ特別代表は最後に、タリバンによる極端な女性差別などの人権問題についてオマル師の考えを質した。オマル師は国連の懸念を聞き置いたあと、「我々が思いを遂げようとすると、(国際社会の)他の人々と問題が生じる。しかし、もしそのために理想を捨ててしまうと、今度は我々自身の間で問題が起こる」とつぶやいて、宗教的情熱と国際批判との狭間で揺れる真情をにじませた。しかし一方で、オマル師は「アフガン国民とイスラムを切り離すことはできない」と断じて、厳格なイスラム法の解釈による統治を緩めるつもりがないことを示唆した。

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