秋田市「まさか」の大水害から2か月 住民が証言する発災時と今

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   秋田県を襲った集中豪雨から約2か月。J-CASTニュースは、被害が大きかった秋田市を2023年9月中旬に取材した。被災地の今の様子を、2回にわたってお届けする。

   記者は、秋田市社会福祉協議会が市内に設置し、ピースボート災害支援センター(PBV)が運営のサポートを行っていた、被災者支援拠点を訪問。日用品や生活情報を求めてやってくる住民に、話を聞いた。

  • 7月15日、浸水した東通地区(写真提供:荻田茂さん)
    7月15日、浸水した東通地区(写真提供:荻田茂さん)
  • PBVが東地区コミュニティーセンター外に設置した拠点では、生活物資を提供していた
    PBVが東地区コミュニティーセンター外に設置した拠点では、生活物資を提供していた
  • 自宅前を埋め尽くした土砂が片付き、笑顔を見せた齊藤由紀子さん
    自宅前を埋め尽くした土砂が片付き、笑顔を見せた齊藤由紀子さん
  • PBV「楢山コミセン支援拠点」。9月に入っても、訪れる相談者は少なくない
    PBV「楢山コミセン支援拠点」。9月に入っても、訪れる相談者は少なくない
  • JR秋田駅では浸水したエスカレーターが、9月中旬になっても動いていなかった
    JR秋田駅では浸水したエスカレーターが、9月中旬になっても動いていなかった
  • 7月15日、浸水した東通地区(写真提供:荻田茂さん)
  • PBVが東地区コミュニティーセンター外に設置した拠点では、生活物資を提供していた
  • 自宅前を埋め尽くした土砂が片付き、笑顔を見せた齊藤由紀子さん
  • PBV「楢山コミセン支援拠点」。9月に入っても、訪れる相談者は少なくない
  • JR秋田駅では浸水したエスカレーターが、9月中旬になっても動いていなかった

あっという間に水かさが増した

   秋田市での大規模な水害は、前回は1955(昭和30)年6月までさかのぼる。市内を流れる太平川の増水で、床上浸水1139棟、床下浸水1355棟の被害を出した。

   それから68年。今年7月の大雨被害は、9月19日付の秋田県の発表で床上浸水4563棟、床下浸水3081棟と大幅に上回った。ほとんどの市民にとっては初めての経験で、「まさか」の事態だった。

   記者が市内東地区コミュニティーセンターにある支援拠点を訪問中、荻田茂さん・優美子さん夫妻と出会った。住居は床上浸水したという。自宅を訪問すると、家の外観を見ただけだと被害は分かりにくい。だが、浸水して処分した家財道具は少なくないと話す。中に入ると、フローリングはきれいに掃除されていたが、今も床板の間の目地に細かな砂粒が詰まっていると気にする様子だった。

   7月15日。前日から降り続く雨で、荻田さんが住む「東通」と呼ばれる地域には朝8時30分、警戒レベル3に当たる「高齢者等避難」が発令された。その後、市から避難を促す連絡があると思っていたが、そのまま時が過ぎた。

   11時10分、市内を流れる太平川が氾濫。場所は、荻田さん宅から車で10分程度と離れていた。ところが正午過ぎ、突然スマートフォンの警報音が鳴り響いた。一気にレベル5の「緊急安全確保」が出されたのだ。これは「災害が発生している段階」で、「すでに安全な避難ができず命が危険な状況」を知らせるもの。屋外を見ると浸水がひどい。避難のタイミングを失い、家にとどまるしかなかった。

   同じ頃、近隣に住む神原真紀子さんは「あっという間に水かさが増した」と振り返る。地区の民生委員を務めており、町内の高齢者が心配で次々と電話した。「もう避難できる状況じゃありませんでした。『とにかく、家の2階へ』と促すのが精いっぱいでしたね」。

猛暑下の片づけ、心身不調になる高齢者

   翌16日、道路にたまった茶色く濁った水は減り始めた。東通一帯は、内水氾濫による浸水とされる。神原さん宅は床下浸水だったが「においが、すごかった」。灯油が入り混じったような臭気だったと話す。

   浸水した住居を何とかしなければならない。屋内に流れ込んだ水や泥をかき出し、部屋の換気と拭き掃除、消毒。濡れた家具の移動や処分も必要だ。カビの繁殖を防ぐため、浸水した床下の地面を乾かしたり、壁紙をはがして断熱材を撤去したりという作業は、スキルや人手がないと難しい。加えて今夏は、猛暑に見舞われた。7月23日から1か月以上、市内は最高気温30度以上の日が続いた。心身共に不調に陥る高齢者や、「もうここには住めない」と移転を検討する住民が出始めた。

   秋田市は一部地域の「内水浸水想定区域図」を公表している。東通は未完成のため、荻田さんが7月の被災地域に等高線図を重ねて自作したところ、近所は内水氾濫が起きる可能性が高いと分かった。

   水害後の後片付けは、被災者の気力・体力を奪う。「豪雨災害が、また起きたら」。その不安が荻田さん夫妻、神原さんを悩ませる。

一人ひとりが、出来ることを

   秋田市では、土砂災害も発生した。山内(さんない)地区に住む齊藤由紀子さんは大雨の日、地元警察に促され避難所で一夜を過ごした。翌日帰宅すると、自宅の裏山が崩れ、「川のようになっていた」。住居は無事だったが、水道が壊れるなど生活に支障が出た。家の前に土砂がたまって「圧迫感がありました」。

   7月末、PBVが支援に入った際は、大きな石がゴロゴロしていた。支援団体が協力し、重機でこれらを取り除き、水道を復旧させ、記者が訪れた時期には穏やかな環境が戻っていた。齊藤さんは「どうしていいか分かりませんでした。ボランティアの皆さんが来てくれて、本当に助かりました」と笑顔を見せた。

   PBVのような支援団体の活動は、被災地の復旧に欠かせない。だが近年は、全国規模で自然災害が頻発している。こうした団体やボランティアの活動に頼るだけでなく、一人ひとりが、出来ることを考える時代が来ている。

   前出の荻田さん夫妻、神原さんの町内は、住民の結びつきが強いという。神原さんの場合、民生委員として「知らない顔はない」ほど、普段からコミュニケーションを欠かさない。荻田優美子さんは自身が代表として、地域にラベンダーを植える有志グループを続けており、近所の人と一緒に活動する機会を持っている。記者が訪れた日、このグループと町内会が、地域の消防署長を招いて会合を開いていた。「次」へ備えようと、被災住民が集まって情報を共有したという。

   荻田茂さんは、仕事で防災に長年携わっており、優美子さんと共に「今回の経験をどう生かすか、町内で議論していきたい」と考える。神原さんは「自分の身は自分で守る、と強く思いました」と、経験を踏まえて語った。

   こうした「自助、共助」はもちろん重要。ただ地域によっては、お互いが顔見知りとは限らないし、逆に昔からの結びつきが途切れているケースもある。大災害に見舞われれば、生活再建は長期戦となる。事前の備えや住民間のつながりを「制度」として整えていくのも、今後必要になるかもしれない。

(J-CASTニュース 荻 仁)

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