「令和の米騒動」で姿が見えない「コメ議員」 かつて存在感示した「族議員」が消えたわけ

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   コメの値段が上がりっぱなしの「令和の米騒動」を見ていて、おやっ?と思った、昭和のころには、いつもこうした場面に必ず登場した「コメ議員」(農林族議員)の姿が見えない。もちろん、「食糧管理法」も「減反政策」もなくなり、コメ議員の役割は生産者のための米価引き上げだったから、方向は違うけれど。危機的な場面での頼りになる調整役だった「族議員」はどこへ行ったのか?

  • 依然コメの高値は続いている
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  • 福島伸享議員公式サイトより
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「公認権を持つ自民党総裁の力が強くなった」

   「中選挙区制(定数3~5)が廃止されて、小選挙区制(定数1)に代わった時から存在しえなくなった」と、福島伸享代議士(54歳、茨城1区・当選4回)は言う。

   中選挙区では、自民党の候補者が3人も4人も同じ選挙区で当選を争うため、関係団体に支援してもらうための「専門分野」を持たなければならなかった。それが農民の利益を守る「農林族」であり、地元に道路を誘致する「建設族」であり、産業政策に影響力を持つ「商工族」など。これが、小選挙区となれば、党内で争う必要はなくなり、自民党の公認を得ることが最も重要となる。で、何が起きたか?

   「公認権を持つ自民党総裁の力が強くなった。すると、候補者は地元の県議や市議、団体の組織に乗っかるだけの存在になりがちだ」と福島氏は言う。福島氏は経産(通産)官僚を経て2003、05年に民主党から出馬、落選した。とくに小泉純一郎首相による05年の「郵政選挙」では、首相の唱える「郵政民営化」に反対した自民党議員を公認せず、その選挙区には別の候補・「刺客」を放った。小選挙区制下で公認権を持つ自民党総裁の独裁にも近い強大な権力を、落選した福島氏は目の当たりにした。「族議員」や「派閥」の影は薄れた。一方で、この選挙で当選した議員は存在感のない「チルドレン」と言われた。さらに福島氏はいう。「個別業界の利益を発言すると他の業界の利益と対立するため、みんなにいい顔をして何も言わない議員ばかりになった、ということも、族議員がいなくなった一つの大きな理由です」。

   族議員は、高度経済成長が終わりを迎えた1970年代から目立ち始めたとされる。「政官財の癒着の代名詞」のように言われることが多いが、逆に大蔵族の代表とされる山中貞則・元党税調会長は、消費税を導入した功労者と言われた。

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