労働4時間で限界「虚弱エッセイ」に相次ぐ体験談 「限界が来ている」過渡期の今、識者が読み解く社会背景【#虚弱を考える】

虚弱の告白を後押しした「失われた30年」と「ケアブーム」

   「虚弱に生きる」が大きな反響を広げる社会的背景は何か。

   頭木氏は、日本経済が長期停滞から抜け出せない「失われた30年」を一因に挙げる。高度経済成長期には、努力が収入や地位に直結し、体調を崩して頑張れなかった人たちなども保障を受けやすかった。

   しかしその後、努力が報われない時代が続き、上を目指すために「頑張らないとダメだ」という考え方が強まった。努力ができない人たちを見下すことで自分の立場を確認して安心する風潮も激しくなったという。

   ただ「さすがにその限界が来ている」と、頭木氏は指摘する。努力してもうまくいかない人たちも増加し、「もう無理だ」という声が表に出てきた。「『虚弱に生きる』は、虚弱な人だけでなく、努力が報われなかった人も読んでいるのではないか」

   また、多様な分野でケアの重要性が高まる「ケアブーム」も、同書に共感が集まる背景の1つだと説明した。

   頭木氏によると、ケアという考え方が広がる契機となったのは、アメリカの心理学者キャロル・ギリガン氏が提唱した、「正義の倫理」と「ケアの倫理」という2つの倫理観だ。次のように解説する。

「頑張っているか頑張っていないかで判断することは『正義の倫理』です。努力した人が勝ち組になる。しかし、頑張っていない人を切り捨てていいわけがない。『ケアの倫理』は誰も取りこぼしてはいけないことを重視します」

   今の社会には、「正義の倫理」から取りこぼされた人たちが大勢いるという。生きづらさを抱える人が目立つようになり、ケアという考え方も広まったため、「虚弱」についても声を上げられるようになったのではないかとみている。

   だが、学校や職場で虚弱を明かすのは「まだまだ難しい」とも語る。頭木氏自身も潰瘍性大腸炎を長い間隠していたという。難病でも虚弱でも、周囲の人々から「仕事を任せられない」と判断されるなど、社会的に不利な扱いを受けることは共通していると述べる。

   さらに、多様な人々に配慮する負担から、いわゆる「多様性疲れ」も強まっている。そのうちの1つが、一人ひとりに向き合わず「健康」という前提で扱う考え方であると、頭木氏は指摘する。

「本当は誰も取りこぼさない社会のほうが、健康的な人たちにとっても生きやすいはずと思います。それに弱いからこそ気付けることも沢山あり、弱い人たちを抱えこんでいる社会のほうが、逆に強みにつながっていたと思います」

   社会から「余裕」が失われつつある一方で、取りこぼされたものを拾い上げる「虚弱に生きる」が売れていることが嬉しいと、頭木氏は語る。そして、ケアの根本にある「誰も取りこぼさない」という考え方が広まることに期待を寄せている。

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