2024年 4月 30日 (火)

ヤクルトスワローズけが人続出の怪 その歴史は30年前に始まっていた

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   9月に入り、プロ野球のペナントレースは大詰めを迎えている。セ・リーグでは広島東洋カープが連覇に向けてラストスパートに入った一方、東京ヤクルトスワローズが「借金43」(2017年9月6日現在)と断トツの最下位に低迷している。

   原因のひとつに挙げられるのが、主力選手の相次ぐけがによる離脱だ。

  • 来シーズンこそ…
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荒木大輔は1988年から4年間離脱

   ヤクルトにとって2017年シーズンは、苦難の道のりだ。柱となる投手や打者が、相次いで戦列を離れた。現時点でも登録が抹消されている主力選手は、館山昌平投手、畠山和洋選手、雄平選手らで、一時は小川泰弘投手やウラジミール・バレンティン選手という投打の要や、「守護神」秋吉亮投手までが外れた。今季の新戦力として獲得したオーレンドルフ投手に至っては、4試合に登板しただけで4月24日に登録抹消となると、右肩痛の検査のため帰米したまま再来日のめどが立っていない。

   けがで長期離脱を余儀なくされる選手も目立つ。館山投手は2008年~12年まで連続2ケタ勝利を挙げていたが、2013年以降は右ひじのけがとの戦いで手術を繰り返し、2015年に復帰するもフル回転とまではいかない。由規投手は右肩痛が長引き、実に5年近くも1軍での勝利から遠ざかった。

   過去にも、こうしたケースがあるのがヤクルトだ。高校野球で大フィーバーを起こした荒木大輔投手は、1983年に入団すると85年から先発投手に定着。ところが88年に右ひじを痛め、以後は手術とリハビリに4年間を費やした。強烈なスライダーが武器だった伊藤智仁投手は、新人だった1993年に大活躍するも、翌年から2年間はけがの治療のため1軍登板できなかった。川崎憲次郎投手の場合、入団4年目の1992年に故障で1年間登板なし。その後98年には最多勝のタイトルを獲得するなど活躍するが、2000年のオフにフリーエージェントで中日ドラゴンズに移籍すると、右肩痛でその後3年間は1軍でプレーできなかった。4年目にようやく3試合に登板、0勝1敗の成績を最後に現役引退となった。

球団の体質、「家族的チーム」の甘さか

   他球団でもけがで長期離脱する選手がいないわけではない。だがヤクルトは、今シーズンのように主力級が大勢離れる点で目立つ。

   長年プロ野球を取材してきたスポーツジャーナリスト、菅谷齊氏に聞くと、真っ先に「球団の体質」を挙げた。「プロの選手はまず練習できる、けがをしない体づくりが基本。そこに球団がお金をかけていないとしか思えない」と厳しい。また昔から言われている「家族的なチーム」という和気あいあいとしたカラーが悪い方向に出ると、さまざまな面で甘さにつながるのではないかとも指摘した。

   逆に、無名の若手選手を練習で鍛え上げて強くなったのが広島だと菅谷氏。たとえ資金が潤沢でなくても、球団側が必要な部分に重点的に投入することでチーム強化につなげていると見る。

   阪神タイガースの往年のエース、江夏豊氏は、現ヤクルトのシニアディレクター、小川淳司氏と対談し、2014年12月12日付「週プレNEWS」に掲載された。この時すでにヤクルトのけが人問題が取り上げられ、江夏氏は、「医療以前のトレーニング方法も見直す必要があると思う。ウエイトトレーニングもしかり、なんでもアメリカのまねをしすぎなんじゃないか。日本人の体力とアメリカ人の体力は違うんだから」と指摘していた。

   小川氏もウエイトトレーニングの問題点に触れつつ、「医学的な根拠はなく、単に自分の考えですが、トレーニング方法を見直すべきケースも確かにあるように思います」と話していた。

   2017年6月21日に開かれたヤクルトの株主総会では、株主からけが人続出の球団について批判的な質問が相次いだ。6月22日付の日刊スポーツによると、衣笠剛球団社長は「(20)11、12、13年はけが人が多かった。(今は)人数的には少なくなっている。けがが出にくい体質づくりを将来に向けて進めていく」と答えたという。また数年前にトレーニング、コンディショニング、リハビリの部門を統一して情報共有を深め、状況は改善しているそうだ。

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