オーマイニュースはなぜ挫折したか 「敗軍の将と兵」が語った1万字(上)

ネットメディアにふさわしい「人材」を集められなかった

元木 それから、ビジネスモデル。オさんは、市民記者の数を増やしてページビューをあげていけば広告も入ると考えていたが、日本では非常に難しい。私は講談社で「Web現代」というサイトをやっていたが、一日100万ページビューがあっても(経営的には)難しいだろうと、創刊前にオさんと鳥越さんに言った。

   その後、鳥越さんから電話があって、07年2月から鳥越さんを引き継いでオーマイニュースに入った。やっぱり私が危惧していた通りの状態だった。特にビジネスモデルがまったく描けない。私はまず編集長代理で、6月から編集長だったが、編集長というのは数字のことは分からなかった。

   07年12月には突然、代表取締役社長になった。だが、「ソフトバンクから相当な資金援助があったとしてもやっていくのはきついだろう」と思っていた。案の定、3ヶ月後の08年3月に、ソフトバンクからこれ以上の追加融資はできないと言われた。

平野日出木・3代目編集長
平野日出木・3代目編集長

司会 創刊当初からオーマイニュースに関わっていた平野さんからみて、オーマイニュースの敗因はなんだったのか?

平野日出木(3代目編集長) オーマイニュースに入ったのは2006年7月4日。09年1月末に退くまで2年7ヶ月間いたから、ここにいる中では一番長い。敗因の1つは、編集部や市民記者を含めて「人」の問題。私も含めてだが、ベストの形で盛り上がれるような人を集められなかったのではないかと思う。

   会社ができたのが(創刊3ヶ月前の)06年5月だから、非常に短い期間でいろんな人を集めないといけなかった。その間にいろいろとウェブの世界に詳しい人にも会ったのだろうけど、そういう人を集めることはかなわず、紙メディアやテレビの人でやっていかざるを得なかった。

   市民記者として来ている人も、どちらかというと「反日的な人」が集まってきてしまった。そういう反対派の人達はそのうち「反編集部」にもなっていって、たいへんストレスフルな毎日を送らざるをえなかった(会場笑)。

   2つ目として、お金の問題も当然あった。いろんな人の話から僕なりに解釈したところでは、ソフトバンクがどういう形でお金を出してくれるかという点について、オ・ヨンホ(代表)とソフトバンクの間でちゃんと理解ができていなかったのではないか。オ・ヨンホは、JanJanのスポンサーである富士ソフトや、ツカサネット新聞のスポンサーであるツカサ都心開発のように、恒常的に資金を補給してくれるスポンサーとして、ソフトバンクのことを捉えていたふしがあった。

   08年3月にお金がなくなりかけて、オ・ヨンホと孫正義(ソフトバンク社長)の間でサミットミーティングがあったとき、オ・ヨンホは直前まで「俺にまかしておけ。絶対、大丈夫だから」と言っていた。「大丈夫ですか? 僕らは何もしなくていいんですか」と聞いたが、「いや、まかせておけ。信頼関係で大丈夫だから」と。それに多少期待していたところがあったが、あえなく沈没して大変なことになった。

   孫さんは、ウェブビジネスでどこかが成功したときのために、いろんなところに種をまいているが、オーマイニュースもその一つだろうと僕たちは思っていた。だが、韓国の創業者はそのように理解していなかったのではないか。

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