最近、働き方の話で注目をあつめた記事があった。「グーグル創業者が語る働き方の未来『もう必死に働かなくて良いんじゃない?』」(キャリコネ、2014年7月11日)というもので、グーグル創業者のラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏へのロングインタビューを紹介した内容だ。いままで、ベンチャー創業者は「必死に働け」とは言っていたとおもうが、「必死に働かなくて良い」と喋るのは珍しい。今後ますます機会化が進み、今ある仕事の半分以上が機械にとってかわられる未来について、ラリー・ペイジ氏は、「我々が幸せになるために必要な資源は、実はかなり少ない。今の1%以下じゃないかと思うくらいだよ。多くの不必要な活動が、忙しさや環境破壊の元凶になっている」と語っている。先進国の世の中はすでに豊かだみなさん、働きすぎでは?もうひとつ、「ザ・ノンフィクション お金がなくても楽しく暮らす方法」は、ニートのphaさんらの暮らしを追ったドキュメンタリー(フジテレビ系、7月13日放送)だ。phaさんは、原稿料や広告料、たまのバイトなどの収入で、和歌山県の山奥に安く物件を手に入れ改造してみんなと暮らしているというものだ。見た目には働いていない。この手の話には、3つのポイントがあるとおもう。整理したい。ひとつは、先進国の世の中はすでに豊かだということだ。物質的な豊かさで満ち溢れ、衣食住などの基本的なニーズは満たされている。食料生産は、大規模農業や機械化などのイノベーションにより、非常にコストが安くなった。衣服もそうだし、テレビや冷蔵庫やパソコンといった基本的な工業製品についても、安価な値段で、手に入るようになった。コメや、テレビや冷蔵庫を得るためには、実際は大した金額は掛からないはずだ。例えば、日本人が年間に食べるコメの量は約一俵(60キロ)といわれるが、これを仮に関税ゼロでベトナムから買えばわずかに2200円程度である。他にもサムスン製の薄型テレビが3万円台で買える。ニートのphaさんの熊野の家は、月の家賃が5000円だという。これだけ安いものが手に入るのに、なぜ人々は、いつまでも朝から晩まで働かなくてはいけないのだろうか。私の意見では、人は、すでに十分短い労働時間で暮らせるのに、誰かのレント(特権的利益)のために働かざる得なくなっているということだ。つまり、コメの関税は800%近いが、このために追加の労働をしなくてはいけなくなっているわけだ。2つめのポイントは、多くの人が、もう必死に働かなくて良いんじゃないということは、「所得水準が低下してもよしとすることだ」と錯覚している。経済が低迷してもよい、むしろ経済が低迷すればするほど、必死に働かなくてすむ世界に近づくと錯覚している。典型的なヒューリスティック・バイアスだ。所得水準が低下すれば、石油などの輸入材は世界中でほぼ同じ価格だから、より多くの労働をしないと、石油が得られないことになる。これは、「必死に働かなくていい」とは真逆の方向だ。労働からの開放3つめのポイントは、労働からの開放だ。これがまさに、グーグル創業者や、ニートのphaさんがやっていることだ。生産性が高く、短時間にお金を稼げるひとは、食料や白物家電を買うのにさほど働かなくてすむ。phaさんはブログや原稿料で食べているというが、彼がそれに朝から晩までつきっきりなわけではなく、せいぜい1週間に数時間を使っているだけだろう。仮に週4時間(月16時間)を使っていて、彼の収入が月8万円だとすると、フルタイム(1日8時間×20日程度、160時間)で働いたら単純計算で月80万円ということになる。つまり、彼の所得水準は高い。高付加価値な仕事をしているのである。所得水準が高いからこそ、わずかな時間に仕事をするだけで、安くなった生活費をまかなえるだけの収入が手に入ってしまう。しかも、ブログや原稿は好きで書いているのだから、「労働」という感覚はないのかもしれない。google創業者も、人間は高付加価値な仕事だけをすればよいと言っている。低付加価値な仕事は、機械が代替してくれる。「仕事がないなら仕事をする必要はない。アートやエンターテイメントを楽しみ、生み出すことがこれからさらに重要になるのではないか」まとめると、・レントを排除し、衣食住が安く手に入るようにする・高付加価値な仕事をし、所得水準を高め、短時間で衣食住を満たすお金が手に入る状況にする・労働ではなく好きなことで稼ぐ。働かないでもいい未来のためには、この3点が必要だ。(大石哲之)
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