最近の就職活動にも、格差が広がっています。一握りの学生が多くの内定を得て、企業はそれらの学生の囲い込みに必死な一方で、多くの学生がなかなか内定を取れずに苦労する。こういう話はよくささやかれていて、就職格差だというように言われます。しかし、果たしてそうでしょうか?よくよく考えてみてください。殆どの日本の大学生は、英語もできなければ、取り立ててスキルのない、単なる学生です。とりたてて仕事に役立つスキルはなにも持っていません。企業に入ってから育てるといっても、じゃあ、かといって、勉学でも、他の分野でもいいのですが、なにかを成し遂げてきたという経験もたいしてありません。入社してからも、何かを成し遂げてくれるかもしれないという判断すらつきません。フィリピンで、ゼロから新規開拓営業就活格差の実態とはそういう人材を採用して、しかも40年間雇えというのですから、人事としてはとんでもなく大変なことです。拙書『英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか』の本をよんで、やばいと思って1年間休学して、経験をつんだ学生と一緒に先日、講演をしました。彼は、とりたてたスキルもない学生でしたが、半年間フィリピン留学し、英語のコミュニケーションはばっちり。そのあと、フィリピンの人材紹介会社で半年間インターンしたそうです。現地でゼロから新規開拓営業をして、クライアントをとり、人材も紹介して、実際に成果をあげました。営業目標も他の社員と同等のものをクリアしたそうです。「数字で目に見える、立派な、実績をつくったね。これを喋れば、どの会社も内定出してくれると思う」とコメントしました。きっと、これから始まる就職戦線で彼は引っ張りだこでしょう。世界的に見ても、何の取り柄もない文系のノースキルの学生を採用して育てるという日本の習慣は、ありえないことです。単に大学を卒業したからといって、文学やら社会学やら、なんちゃって経済学やらをやっていた学生でも、仕事があるだろうと考えているのは、日本だけです。米国でもシンガポールでも文学なんかを専攻する人は、就職しなくても食っていける金持ちの道楽か、研究者志望者だけでしょう。特定の人に内定がかたよるのは当たり前そして、日本の社会の側も、文系のノースキルだろうが、大学を卒業したのだから、全員が就職できないといけない、というような強迫観念になっていると思います。ここに大きなギャップが有ります。はっきりいいましょう。特定の人に内定がかたよるのは当たり前です。だって、日本では大学生の多くが英語も喋れないノースキルの取り柄のない学生だからです。そのなかで、ごくごく一部のスーパー学生だけが、ちゃんとした行動様式と考えをもち、何に取り組んでも着実に成果を出してきて、光り輝いているのです。企業はそういう人材だけがほしい。文系のノースキル人材は不要です。つまり、何が言いたいかというと、現在の就職格差は、就活の仕組みがわるいのでもなく、企業の採用姿勢が悪いのでもありません。単純に、いまの日本には、企業が採用に値するような学生が少ないだけです。まともに戦力になる学生が、日本では、殆どいないのです。そして、まともな戦力レベルに達した学生は、ほとんどの企業から内定をいただきます。これが就職格差といわれていることの真実です。グローバル競争にさらされている企業はシビアです。殆どの学生がノースキルで英語も喋れず、何一つ成果を学生時代に出していない状態で、それでも一定の数を採用で確保しなければいけないという指令を出された人事部の苦労は、並大抵ではないでしょう。(大石哲之)
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