2020年 3月 29日 (日)

【IEEIだより】福島レポート メディアの功罪「風評払拭」の落とし穴、発信力が持つ暴力性(越智小枝)

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次々とつくり出されたヒーローとヒロイン

   もちろん災害時には、なるべく多くの方の声を拾おうと努力された記者さんもいます。しかし一方で、
「避難所で車座になって笑いながら話していたら、テレビカメラが避けて行った」
そんな話も耳にします。

   報道を見る、聴くのは聴衆であり、聴衆は絵を好みます。そういう側面がなくても、一記者が報道できるものは、個人の見聞きしたものの範疇を超ません。そのような報道が「一般的な」光景であるかどうかは保障されないのです。

   それでも、短期間に少数の人間だけが対象になり、報道されるような事件であれば、大きな問題は起きなかったのではないかと思います。しかし、災害時・復興時の情報発信では、毎年何百人という方が次々とメディアに登場し「ヒーロー」「ヒロイン」に仕立て上げられてきました。

   そしてそれは、報道された「たくさんの声」と、報道されない「それ以上にたくさんの声」との間に、不要な軋轢を生む結果となったのです。

   「軋轢、軋轢って報道されるけど、多くの住民と避難者は仲良く暮らしているんです。まるで私たちが心の狭い集団と言われているみたいで不快です」

   震災からしばらく経ち、避難者が医療機関に押しかけて住民との軋轢を呼んでいる、などと報道された後のこと。いわき市に住む方からそう言われたことがあります。

   このような副作用を持つ媒体はマスメディアで発信されたニュースに限りません。媒体の力が強いほど、その発信が「多数派」であり「正しいこと」であるように聞こえてしまう。その結果、それに当てはまらない人々を傷つけることがある、という認識を、発信者は常に持ち続けなくてはいけないと思います。

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