2022年 10月 3日 (月)

「バスケの選手であることを忘れる」同期にそう言われるとうれしい(日本生命 北間優衣さん)

モータースポーツの世界観を表現した『ECB-2000』

「挑戦する」ことを教えてくれた恩師との出会い

   北間さんの病気は、先天性二分脊椎症。「生まれてから、歩いたことってないんですよ」と、あっけらかんと言う。小学校から中学・高校、大学まで、養護学校や特別支援学校ではなく普通校に通っていた。

   バスケにのめり込むきっかけは、中学1年の1学期。必ず入らなければならない部活に、大好きなバスケを選んだ。「でも、ほぼマネージャーという扱いで......。練習には加わるんですが、ゲーム形式の練習はできませんでした。それでも最初はバスケの近くにいられことだけで十分だったんですが、どこか心の中で『私もバスケしたいのにな』という思いが強まりました。そんなときに、顧問の先生が『そんなにバスケ好きなんだったら、車いすでもバスケできるよ』と、地元・伊丹の車いすバスケのチームの練習に連れて行ってくださったんです」。

「強いチームで鍛えられ、どんどん夢中になった」と語る北間優衣さん
「強いチームで鍛えられ、どんどん夢中になった」と語る北間優衣さん

   そのバスケットボールチームが、「伊丹スーパーフェニックス」だった。地元チームで車いすバスケのキャリアをスタート。その後、チームメイトの薦めもあって、当時から多くの日本代表選手が所属する強豪、「カクテル」へ移った。そこで鍛えられるうちに、車いすバスケにどんどん夢中になった。

   北間さんには、大事にしている言葉がある。「初心忘るべからず」。その理由は、「向上心」を失いたくないから。だから、「挑戦」し続ける。2019年正月、自身のツイッターに、漢字で一文字「挑」と書いた。

「もっとうまくなりたいという気持ちは、みんなが持っていると思うんですが、一方で経験と知識がついてきて、自分のプレースタイルやスキル、自信がついてきたときに向上心を失うんじゃないかと思うことがあって......。一選手として、そのことがとてももったいないことに感じています」

   「チャレンジ精神」は、中学時代の女子バスケ部の顧問の先生の教え。「わたし、バスケの第一印象はすごく怖い競技だと思ったんです。でも、その時に顧問の先生から、『バスケをやりたかったという気持ちがずうっとあったんだから、それを自分で体感してみて。まず、やってみたら』と背中を押してくれたんです」。そのおかげで、「今の自分がある」と言う。

   毎年、地元での大会に恩師を招いている。「こうなりましたという姿を見てもらいたいから」。2020年、東京パラリンピックまでの時間を、挑戦と失敗の中で課題を見つけ、そしてまた挑戦するスタイルを貫き、「てっぺん」に臨む。

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